……神様ジーザスはいない。
そうとも。
この世には神も仏も、イエス=キリストもアッラーも居はしないのだ。
世界は悪魔デモンがサバトの儀式で動かしていて、
何も知らない愚かな人々は
背中に銃口マズルを突きつけられている事にも気づかず、
危険な火薬庫の前で花火をしてるのさ。

【サン・クエンティン刑務所死刑囚、スミス=ゴードンの独房の落書き】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gun Crazy

CASE 01  Highway Star@

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2012年 アメリカ合衆国 ニューヨーク・シティ  マンハッタン ミッドタウン

 

 

雑踏であった。

陽はすでに半分以上、地平線の下に傾きかけている。

夕暮れの中、燦々と輝くマンハッタンの華麗なイルミネーションの下を、孵化したばかりの蟷螂の子供のように人々が闊歩していた。

ウォール街も、帰宅ラッシュの時間帯なのだ。

その人々の群れを割るようにして、道路の中心線に車が群れを為していた。

別段珍しい光景でもないが、その夜は少し異様であった。

何故なら、それは所謂ところの一般車ではなく、メルセデス=ベンツ、BMW、ジャガー、ディムラー、フェラーリ、ランボルギーニ、クワトロポルテといった、いずれも頭に超のつく法外な高級車ばかりであったからだ。

呑気な者ならば、あるいはこのショーウィンドウの中でしか見られないこのスーパーモデル達の路上披露を喜んだかもしれないが、少しでも頭の回る者ならば、羨望の視線よりもまず不穏な空気を読み取る事だろう。

ブラックパールの車体に、黒服の男達……少なくとも、合衆国大統領のシークレット=サービスには到底見えない。

その上、そこはベガスに勝るとも劣らぬカジノ街に面した街の中心部、ブロードウェイだった。

そうなると彼らの素性も自ずと予想のつくものだ。

ギャング。 マフィア。

俗にそれらの名で呼ばれる類の人種である。

世界を水面下から動かす、混沌と暴力を司る暗黒街の住人達。

地元では、土曜の夜に彼らに道を譲らない者はいない。

保安官も、表立った事件でも起きない限りは見て見ぬフリだ。

彼らはまさしく、ニューヨークの摩天楼を支配する“夜の王”だったからである。

 

 

 

ニューヨーク=ギャングは、ここ10年というもの、二つの勢力によって牛耳られてきた。

一つはブロンクスのギャングスター、マイケル=バーネット率いる武闘派ギャング、バーネット・ファミリー。

そしてもう一つは、カナダに作り上げた独自の麻薬流通ルートを駆使して、セントラル=ハーレムを中心に不動の地位を確立した麻薬カルテル、エリクソン・ファミリーである。

かつて“ボスの中のボス”、チャーリー=ルチアーノの作り上げた合議機関コミッション制は廃止され、現在のニューヨークは、80年前の禁酒法時代のマランツァーノとマッセリアの勢力図をそのまま再現していた。

合衆国最大の都市であるニューヨークが、10年にも渡ってわずか二つのファミリーによって牛耳られてきたという事実からも、彼らの規模がいかに巨大であり、彼らの支配力がいかに強大であったのか、容易に想像がつこうというものだ。

しかし、その勢力図が、この一年で激変しようとしていた。

イタリア系ギャング、ガ―ネスト=ヴァレンティーノ率いるヴァレンティーノ・ファミリーが、突如として新種のドラッグ・カクテルを大量にニューヨークに持ち込んだのである。

そのドラッグ・カクテル、“マージ・ノーラ”は、安価で、依存性が高く、しかも恐ろしく低コストで精製できるという正に理想のドラッグであった。

かつてのコカ・コーラにも劣らぬ勢いで、瞬く間に夜の住人達の間に普及し、ニューヨークの麻薬市場を牛耳っていたエリクソン・ファミリーは壊滅的な打撃を被った。

無論のこと、在来勢力であるエリクソン・ファミリーがこの暴挙を指をくわえて見ているはずもなく、ついには暗殺請負会社マーダー=インクを召喚し、実力行使に訴えようとした。

現代のギャング組織は、アル=カポネの時代のように一匹狼では生きてゆけない。

名目上は対立していても、暗黙の盟友関係――――東洋風に言えば『仁義』に相当する相互扶助関係を、ギャング組織も持っているのである。

それを守らぬものは、たとい一時繁栄したとしても、やがて他の組織から相手にされなくなる。

だが、おかしな事に、ヴァレンティーノ・ファミリーは、三半月を過ぎても一向に衰える様子を見せなかった。

それどころか、他の組織と組んでいる様子も無いのに、全くの単独経営でますます勢力を伸ばしてきたのである。

幹部連を暗殺すべく送り込んだ暗殺請負会社マーダー・インクのヒットマン達も、ことごとく消息を絶っていた。

鼻の利く者は、この組織の背後に不穏な気配を敏感に感じとり、この一件に関わる事に消極的になっていった。

業を煮やしたエリクソン・ファミリーは、とうとう直接的な武力行使に出ることにした。

白昼堂々、ガ―ネスト=ヴァレンティーノの経営するカジノを襲撃しようとしたのである。

しかし、逆に潰されたのはエリクソン・ファミリーの方であった。

事に及ぼうとしていたその時には、すでにヴァレンティーノの手がエリクソン・ファミリーの内部にまで伸びており、全ての情報がリークされていたのである。

それから約2ヶ月に渡って行われたヴァレンティーノ=ファミリーの粛清劇は、凄惨を極めるものだった。

エリクソン・ファミリーのアジトはことごとく襲撃され、爆破された。

ファミリーの旧勢力は一掃され、なおも抵抗を続ける幹部達は、一族郎党皆殺しの憂き目にあった。

相談役コンシリエーリは薬漬けにされ、麻薬の流通ルートを洗いざらい吐かされた上で、精肉機の中に放り込まれた。

ガーネスト=ヴァレンティーノはシチリア人であり、シチリアン・マフィア流の容赦ないやり口をよく心得ていたのである。

エリクソン・ファミリーのボス、エルドア=エリクソンの粛清は大仰に過ぎるものだった。

ヴァレンティーノ・ファミリーは、ヘリコプターにエリクソンを死体を詰め込むと、真昼のタイムズ=スクエアに突き落として、エリクソン・ファミリーが壊滅した事を、マンハッタン中に誇示してみせたのである。

こうして突如として現れたヴァレンティーノ・ファミリーは、わずか一年にしてニューヨーク・ギャングの一大勢力へと発展した。

奇妙な事に、米国麻薬取締局は“マージ・ノーラ”の出所を知る事ができなかった。

 

 

 

 

 

 

黒塗りの高級車の群れの中、命知らずにも横道から割り込んできた車が一台在った。

ブラックパールのシヴォレー=アストロ―――――カラーリングこそ周りの高級車達と同じだが、ワンボックス・カーの無骨なフォルムが、明らかに周りから浮いている。

余所者か、あるいは観光客か。

いずれにせよ、場違いである事には疑う余地も無い。

無論のこと、彼ら―――――ヴァレンティーノ・ファミリーの者達は、その闖入者に寛容ではなかった。

 

 

 

 

「クリントンと法王が同じ日に亡くなった。 クリントンは天国行きを法王は地獄行きを言い渡された。」

アストロの後部座席に腰掛けた、東洋人風の青年が、訛りのある英語で呟いた。

「ところが地獄の門で法王は、手違いがあって、実はクリントンが地獄行きで法王が天国行きだったと聞かされたんだ。
法王が、喜び勇んで階段を登っているとクリントンと出会った。」

「へぇ? それで?」

運転席の女性がおざなりと云った感じに相槌を打つ。

「法王は、クリントンに言った。 『いやー、何だか君に申し訳ないね。』
クリントンは答えた。 『いやいや、お気になさらないで下さい。 天国は素晴らしいところですよ。』」

「――――――――」

「法王は喜び勇んで言ったね。 『私は聖処女マリア様にお会いするのが楽しみなんだよ。』
ところが、そこでクリントンはこう答えたのさ。 『残念ながら、一日遅かったですね。』」

車内は爆笑に包まれた。

一しきりに笑い終えると、我に返った彼らは、ウィンドウの外へと目をやった。

「やっぱ、アレだよな。 浮いてるよな、俺達。」

その東洋人の青年は言った。

黒のスーツに、グリーンとレッドのストライプ・ネクタイ。

短く切り揃えた髪が、切れのある容貌に合ってはいるが、右の眼窩の下から左頬の下まで一直線に伸びた刀傷は、どう見てもカタギの人間の顔についているものではない。

「ポルシェ=カレラだの、ランボルギーニ=ディアブロだのの強面の中に、よりによってアストロだぜ? 後ろの車の怖いお兄さん達、ヤバいくらい睨んでんじゃん。 だから、アイリスのBMWビーマーで来りゃあよかったんだよ。 なぁ、そう思うだろ、春彦?」

刀傷の青年が、傍らの座席に座っている青年に同意を求めた。

呼ばれた青年は、頷く事もなく、窓の外に目をやり続けている。

こちらも同じくアジア系の顔立ちをした青年だった。

ただ、先の青年に比べると、こちらの方が若干幼く見える。

春彦――――日本人の名前だ――――と呼ばれたその青年は、呼びかけには答えず、苦笑を返しただけだった。

「ほら、春彦もそう思うってよ。 ケチケチしないで、傷の一つや二つ大目に――――――」

ガンッッ!!

何事か言いかけた刀傷の青年の頭に、運転席から飛んできた何かが直撃した。

整髪油の入った瓶だった。

「ああン? 傷の一つや二つゥ? そのアタシの大切なM3でこないだチキン・ランやって自爆した馬鹿は、どこのどいつだったのかしら? 右サイドに、べっこりカマ掘って、華奢なあの車をレイプしてくれた馬鹿な小僧ファッキン・バスタは?」

アストロを運転していた、ショートカットの金髪白人女性―――――アイリス=マクドゥガルが、バックミラー越しに刀傷の青年をねめつけていた。

剣呑な空気が、暗雲になって確認できそうな程に濃く発散されている。

クエンティン=タランティーノがこの場に居合わせたならば、『わが娘よマイ・ドーター!』と叫んでスパイアクション・ムービーの殺し屋役に抜擢せんばかりの迫力だ。

「いや……まぁ、アレはなんというか……『これが俺の人生さイッツ・マイライフ!』って感じのロックな青年の主張として受け取っていただく訳には……」

「いくか、この大馬鹿野郎アスホールッッ!!」

じゅっ、と嫌な音と共に、刀傷の青年の手に、焼けた煙草が押し付けられた。

「アイリス! 前!前!!」

青年が声にならない悲鳴をあげる横で、春彦が叫ぶ。

前の交差点の信号が赤に変わっていた。

「おわッッ!?」

当然、左右の道路からは堰を切ったように車が飛び出してくる。

アイリスは、とっさにステアリングを切ってそれらを交わしたが、右側から飛び出してきたイエローカラーのニュービートルだけがどうしても避けきれず、リアバンパーが接触する派目になった。

ニュービートルは、そのまま横滑りにスピンすると、交差点の真ん中で他の車両に激突し、フロントバンパーが見事にひしゃげてしまった。

アイリスの運転するアストロは、重量があったためにそれほど体勢を崩す事も無く、あろう事か後続車を省みる事無く、次の区画を走り抜けていってしまった。

 

「待て待て待て! 当て逃げか!?公務員が当て逃げしていいのか!?」

「うっさいわね、黒龍。 後で地元の警察に明細もらいに行くからいいのよ!」

「職権乱用だろーが!! はた迷惑この上ねーぞ、馬鹿アマ!!」

「人聞き悪いわね。 緊急避難措置って言いなさいよ。」

「お前の脇見運転が全ての元凶だ、この南瓜頭エアヘッド!!」

刀傷の青年――――黒龍ヘイロンはシート越しに怒鳴った。

助手席に座っていた金髪の女性は、嘆息を一つつく事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

カナリアイエローのニュービートル。

それが彼女――――レイン=フェルモンドの最初の車だった。

彼女が今の職場に赴任して、最初のボーナスで買った車だ。

そのキュートでファニーな流線型のフォルムに惚れこんで、大学時代に貯めたバイト代のありったけをつぎ込んで買った。

シートカバーもクッションに貼り変えたし、メーターやステアリングの色もボディカラーに合わせて変えてある。

乗り心地も最高だった。

コミカルな外見に似合わず、150馬力もの強力なトルクを有しており、2年で走行距離は4万キロを越えた。

休日は、これを乗り回すのが、恋人のいない彼女にとっての数少ない楽しみだった。

レインにとって、このニュービートルこそが、最高の相棒であり、そして恋人だった。

 

………だったはずなのに……

 

その恋人の容貌が、今、見る影も無くひしゃげていた。

フロントバンパーはできそこないのクレープのように潰れており、フロントガラスは無数に入った亀裂で1メートル先も見えないほどに真っ白だ。

エンジンは煙を噴いており、ぶるる、と牛の鳴き声のような唸り声を上げている。

彼女が呆然とその風体を眺めていると、運転席でエア・バッグが思い出したようにバフッと開いた。

そのあまりの惨状に、レインは怒りを通り越して、ただ呆けるしかなかった。

「ア……アタシの…アタシのニュービートルが……………。」

交差点の周りからあがるクラクションの合唱にも反応せず、白痴のようにレインは呟く。

パァ――――ッ パッパァァ〜〜〜〜ッッ!

一向に回復しない渋滞に業を煮やしたドライバー達が、急かすようにまたクラクションを鳴らし始めた。

気のせいか、レインの顔に薄ら笑いが浮かんだような気がした。

「………糞ったれガッデム……!」

ドンッッ!!!

―――――45口径の銃声が一つ。

一瞬にして、クラクションの嵐が鳴り止む。

レインが、腰に挿した拳銃―――――ガヴァメントP1445を天に向けて発砲したのである。

「ふ…ふふ……。 うふふふふふふふ…………。」

彼女の口元に狂気の笑みが浮かぶ。

「あンのクソアストロォ〜〜………今度見つけたらこのガヴァメントで蜂の巣にしてやるわ……! アタシの可愛いニュービートルをオシャカにしといてブタ箱だけで済むと思うンじゃないわよ……ッッ!!!」

FBI(米国連邦捜査局)の新米麻薬捜査官、レイン=フェルモンドは激昂した。

 

 

 

 

 

 

棗春彦。

リュウ黒龍ヘイロン

アイリス=マクドゥガル。

キャサリン=シーカー。

それが、先のシヴォレー=アストロに乗っていた4人の男女の名前だった。

傍目には、大学生同士のカップルにしか見えない。

たとえば、もし彼らがデルタ・フォースにも匹敵する最精鋭の戦士達だと言われたとしても、信じる者は皆無であろう。

何故なら、彼らは戦士と言うにはあまりにも無防備であり、窃盗を生業とする者には真っ先に標的とされそうな無垢さが滲み出ていたからである。

4人は、一様に正装にドレスアップすると、カジノ街に足を下ろした。

黒龍は、顔の刀傷を化粧で隠して、無用の威嚇を隠している。

春彦と黒龍はそれぞれアルマーニのスーツに、アイリスとキャサリンは黒のイブニングドレスに着替えていた。

ただ、アイリスはあまり露出の大きな服を着るわけには行かなかった。

何故なら、彼女の肌は、その端整な容姿からは想像もつかないほどに筋肉質であり、あまり露出セックスアピールの過剰な服装をすると、その筋肉の筋が露わになってしまうからだ。

おまけに彼女は年中日焼けしており、お世辞にも上品な印象は与えない。

その褐色色の肌は、一見すると混血メスティーソにさえ見えた。

対称的に、キャサリン=シーカーの肌はひどく女性的だった。

肌の色は病的なまでに白く、豊満なバストとは対称に、ウエストは蜂の腹のようにくびれている。

ミュグレーのゴシック・ドレス。

着る者のスタイルを極端に選ぶ、その気難しいコレクション・ラインを、彼女は完全に着こなしていた。

アイリスの野性的な美しさを雌豹に例えるなら、さしずめこちらは薔薇の美の形象である。

しかし、彼らがこのカジノにやって来た目的は、社交パーティーでもなければ、ギャンブルでもない。

無論、表向きそれに参加はするものの、それは本来の目的を隠すための隠れ蓑に過ぎない。

彼らの目的は、もっと別のところにあった。

 

 

喧騒たる喧騒。

絢爛たる絢爛。

そうした陳腐な形容が最もよく当てはまる場所の一つに、カジノがある。

そこは、純粋たる享楽の場だ。

文化に貢献する事も無ければ、人類の進歩の糧としてもはなはだ不適切だ。

欲と金を吐き出し、あるいは摂取する……ただそれだけの場所。

実にシンプルで、それだけに人間という種の根幹を為す場所。

それがカジノである。

誰しもがそこではクールでいられなくなる。

賭けはクールに。

常套句として用いられるその言葉が、しかし、どれだけの人間が実践できるかという事には疑問を覚えざるを得ない。

たとえば、それが、このアイリス=マクドゥガルという人間だったとしても。

 

「オーケイ……オーケイ、 続行コールよ! !」

アイリスは、手札から2枚トランプを捨てると、ディーラーから新たに2枚を受け取る。

彼女が専ら居座っていたのはポーカーの台だった。

手札はブタ。

先ほどからずっとこの調子だ。

ツーペアか、よくてスリーペアしか出ていない。

ポーカーはツキがまず先に来て、その後に戦略性の続くゲームである。

要するに、ツカない時はとことんツカない。

頭の回る者なら、ここは一つツキの流れに乗るまで手堅く様子を見るものだが、残念な事に彼女はリスクをこよなく愛する、先天性のギャンブラーだった。

付け加えるなら、それはディーラー側からすれば、もっとも金を搾り易い人種である。

何しろ、このポーカーというギャンブルは、イカサマを仕込む余地が他のそれよりもひどく大きいのだから。

 

「やれやれ、あの女、仕事忘れてンじゃねーだろーな……?」

アイリスが我を忘れて熱中しているポーカー台から少し離れたルーレット台の傍らに、春彦と黒龍は立っていた。

カジノ・ホールの中には、ニューヨーク・フィルハーモニックの奏でる荘厳な管弦楽曲が流れている。

二人とも、東洋人としては中々に上背があり、他の日本人観光客に混じると、頭一つ分抜きん出ている。

共に黒髪黒瞳であったが、春彦の方はわずかに色素が希薄だった。

年の頃は、二人とも二十歳前後に見える。

とみに日本人は若く見られがちだが、春彦もまたその例外ではなく、まだ幼げな顔立ちをしていた。

「あの二人は陽動だ。 放っておいてもいいだろ。」

春彦は、外見にそぐわぬ静謐な声色で言い放った。

「事を起こす時には、あの二人にも参加してもらわなきゃならねぇだろ。 俺達二人だけじゃ、逃走ルートを塞がれて、あっという間に蜂の巣だ。」

「ふん、随分と弱気なんだな。」

「俺は客観的にモノを言ってるだけだぜ、春彦。」

黒龍は諭すように言った。

「作戦の不備に即座に対応するのも兵士の条件だ。 状況次第ケース・バイ・ケース。一次学校で習わなかったのか?」

「悪いが行ってもいないな。 最初から予測できた不備を放っておくのは状況次第ケース・バイ・ケースとは言わないぜ。」

「いつからそんな臆病チキンになったんだ、黒龍ヘイロン? “ミスター・デンジャラス”とまで呼ばれたお前が?」

春彦が、冷ややかに黒龍を見やる。

その視線には、言いようのない揶揄が含まれていた。

「春彦よ、危険を危険とわかっていて死地に飛び込むのは、勇敢でも何でもない。 ただの馬鹿だぜ。 無為に火の中に飛び込んで、焼け死ぬ蟲と一緒さ。 オレ達はブルース=ウィリスじゃねぇんだ。」

「まぁ、いい。 話は平行線だ。 アイリスの尻拭いはキャシーに任せよう。 それよりも、標的を見失わない事の方が先決だ。」

「オーケイ。 俺もプロだ。 忘れちゃ居ないさ。」

いかにも観光客然とした、片言の英語で二人は話していた。

賢い狼は、羊の皮のかぶり方もよく心得なければならない。

余所者よそもの特有の、浮ついた視線を装って辺りに目を這わせると、そこには女性客を伴なった、長身の青年の姿があった。

アルマーニのスーツを悠然と着こなし、絹のように艶のある黄金色の髪を総髪オールバックにまとめている。

ホストのような媚びる笑みではなく、あくまで気品と自信に裏打ちされた、貴公子然とした笑顔を回りに振舞っていた。

微笑みかけられれば、同性ですら思わず微笑み返したくなるような愛嬌がある、魅力カリスマに満ちた男だった。

しかし、その男に向けられる、二人の東洋人の視線は硬い。

男は、二人の視線に気がついたのか、伴なった貴婦人をその場に置いて、二人の方に歩いてきた。

「楽しんでおられますか、日本の方?」

青年は、あくまで爽やかに二人にそう話し掛けてきた。

訛りのない、流暢な英語だ。

日本人の耳に聞き取りやすいように、緩やかに発音する心遣いもある。

「俺は中国人チャイニーズなんだがね。」

黒龍が、憮然とした面持ちで呟く。

「失礼だろ、レイ。」

隣の春彦がそれを窘めた。

とっさに偽名を使う事も忘れてはいない。

「ああ、これは大変失礼致しました。 ではお二人共、中国の?」

「いえ、俺は日本人ジャパニーズです。 コイツは同じ大学の交換留学生で、日本の方で知り合ったんですよ。」

「ほう、日本の大学生ユニバーシティですか。 では二人とも、卒業旅行か何かで?」

「まぁ、そんなところです。 向こうは他の国と学期区間が半年ズレてますからね。 こんな時期に卒業旅行をする事になったわけです。」

「それは幸いでしたね。 もしこれが10月前後でしたら、この程度の混み方では済みませんよ。」

「そうかもしれませんね。 やはり、外国慣れしてない僕ら学生上がりには、本場のカジノの雰囲気は圧巻ですよ。」

春彦は、いかにも、という具合に肩を竦めてみせた。

「はは、肩肘張らずに気軽に楽しんでいってください。 申し遅れましたが、私、このカジノのオーナーのマーク=エべンゼールといいます。 といっても、今日はオフですが。」

知ってるよ、と黒龍は内心で呟く。

「オーナー!? 失礼。 まだお若いから、てっきり接客係ホストか何かかとばかり……。」

「いえいえ、私もまだ若輩も若輩ですからね。 勘違いされるのも無理もない事ですよ。 ……おっと、では連れを待たせてありますので。」

「あ、はい。 それじゃあ。」

エベンゼールは軽く会釈すると、先ほどの賓客の方へ戻っていった。

その会釈の中に、わずかながらこちらを品定めするような視線があった事を、春彦達は見逃さなかった。

それがどういう類の視線なのか、彼らはよく知っていた。

「けっ。 タヌキが。」

エベンゼールが奥の部屋に引っ込んでいったのを見計らってから、黒龍は吐き捨てるように言った。

「見たかよ、春彦? アイツの目をよ。 上っ面だけ紳士装ってたって一目瞭然だぜ。 『何しに来やがったんだ、この黄色い猿イエローは』ってな。 あの南部野郎め。」

黒龍は、よほど彼の事が気に入らなかったらしい。

観光客を装うのも忘れて、流暢な英語で一気にそうまくし立てる。

「放っておけ。 どうせ今夜にはケツの穴に45口径のでっかい銃口コックを押し立てられる身なんだ。 おそらく、彼は今日、とてもついていない・・・・・・・・・。」

「随分、流暢にスラングが出るようになったじゃないか、春彦。」

海兵隊ネイビーの連中が教えたがるのさ。 海の男になるつもりは毛頭ないけどな。」

ジョークを交えつつ、二人がそう話していると、先のポーカー台から、あらかたコインをスってきたアイリスが戻ってきた。

隣にキャサリンも伴なっている。

こちらは、さっきからひっきり無しにやってくる男性からの誘いを断るのに、辟易としている様子だった。

「だぁぁ―――――ッッ! もぅ、詐欺よ、詐欺! イカサマ! でなきゃ、この『ベガスのクィーン』と呼ばれたこのアイリス様がステンピンなんてあり得ないわ!!」

「………オイオイ、『ベガスの狂犬マッドドッグ』の間違いだろ。」

めじりッ。

間髪居れずに、アイリスの真っ赤なハイヒールが黒龍の革靴に突き刺さる。

「――――――で、標的の目星はついたの?」

悶絶する黒龍を無視して、アイリスは尋ねた。

「ああ、一応確認はした。 こいつは不測の事態だが、さっき軽く接触もした。 ことによっては顔を覚えられたかも知れない。」

「標的と接触をもったの? アンタらしからぬ失態ね、春彦ヴィクター。」

「……言い訳はしないよ。 これは俺のミスだ。」

「済んだ事は仕方ないわ。 それよりも、今後の対応を考えなさい。」

アイリスはそう叱責した。

その表情は、先のおちゃらけた賭博師ギャンブラーではなく、百戦錬磨の戦隊長ワイルド・ギースの顔だった。

 

 

 

 

 

 

「退路の確保は?」

『ルートAからHまで8通り用意したわ。 今すぐ使えるのは、BとE、Fの3つね。 後、約17分後にCが使用可能になるわ。』

逃走手段あしは何だ?」

『現地調達よ。 幸い、ここには、よりどりみどりの車があるわ。』

「結構。 とても結構だ。 あとはワイングラスでも傾けながら、ゆっくり俺たちがアクションを起こすのを待てばいい。」

『オーケイ。 健闘を祈るわ、ケツの青い坊や・・・・・・・。』

「ファック・ユー。 黙って待機だ、あばずれ・・・・め。」

黒龍はそう言って、そのままトランシーバーをスタンバイの状態に切り替える。

黒龍は、トランシーバーを内ポケットに突っ込むと、トイレの外に待たせていた春彦の元に歩いていった。

「連絡はすんだか?」

「問題ない。 下準備は滞りなく進んでる。 後は花火を上げるだけだぜ、相棒。」

黒龍は、そう言うと唇の端を吊り上げる。

悪戯をする前の、子供の浮かべる笑みであった。

その時、ちょうど向こう側から、数人の男達がやって来るのが見えた。

一人は、先の支配人、マーク=エベンゼール。

両の傍らには、一目でカタギではないとワカる巨漢を伴なっており、そして、その後ろには丸々と肥え太った白ブタピギーのような中年男が同じく巨漢を引き連れて歩いていた。

春彦と黒龍は、物陰に身を隠すと、彼らが通り過ぎるのを待つ。

そのまま彼らは、春彦達の存在に気づく事無く、奥のエレベーターへと姿を消していった。

「………オーケイ。 エージェント=ズールーより、エージェント=フォックストロットへ。 ピギーとサルブレッドがB‐4地点通過。 つるんでブタ小屋に入りました。 今夜はブレーメンの演奏会です。 どーぞ?」

了解ヤー。 何も問題はない。 今ここから、彼らがVIPルームに向かうのが確認できた。 ただ一つ深刻な問題があるとすれば、お前の出来の悪いジョークだよ、黒龍ズールー。 チャールズ=チャップリンでも見て勉強し直すんだな。』

「アイツは嫌いだ。 ショープロレスのマイク・パフォーマンスの方がまだ気が利いてる。」

黒龍は、またもそのまま言い捨てると、トランシーバーの周波数をいじって別の通信に切り替えた。

「エージェント=ズールーより、アルファへ。 スタンバイはオーケイです。 あとはアンタがゴー・サインを出してくれれば、腹を空かせた狼達がブタ共の腹に喰い付きます。 遺憾ながら、煉瓦の小屋はここにはありません。 サタディナイトは喰い放題のバイキングです。どーぞ?」

懲りずにくだらないジョークを交えながら、黒龍が報告する。

『結構。 アルファより、全エージェントへ。 総員、配置。 紳士諸君、今夜は絶好の狩り日和だ。 何、慌てる必要は、全く無い。 それは我らが優秀なハンターだからだ。 猟師は決して取り乱す事無く、静謐に静謐に獲物を追い詰めるのみだ。 たとえその相手が田舎のローカルギャングであろうと一国の主であろうと、その理念は変わらない。 突入時間は、時刻2255かっきりだ。 一秒たりとも遅れてはいけない。 さぁ、狩りの時間だ。 獲物に添えるボージョレ=ヌーヴォーは予約済みだぞ。』

トランシーバーの相手は、ロシア語訛りのある英語で、流暢にそう言った。

中年の男の声だった。

「「「「了解ヤー。」」」」

その通信を耳にした、各々のエージェントは、各場所でそう返答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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