金持ちのためにあり、絞首台貧乏人のためにあり、正義愚か者のためにある。

【シチリアの格言】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中のフィラデルフィア=ハイウェイの上を、幾多ものハマーが闊歩していた。

優美さを取り除き、徹底的なまでに実用性のみを追求したその無骨なフォルムは、野生の猛獣の佇まいを連想させる。

その先頭で、一際目に付くオフロードカー……ジープ=ラングラーを運転している男がいた。

美しい男だった。

その車に似つかわしくない、アルマーニのスーツを着こなした、白人の伊達男。

軽薄な笑みを浮かべたその男は、戯れのように、ラングラーの太目のステアリングを片手で弄びながら運転していた。

「いい夜だ。」

白人の男は言った。

「ヴラド=ツェペシュ、ジャック=ザ=リッパー、エリザベート=バートリー、フリッツ=ハールマン、エド=ゲイン。 世界の名だたるサイコ野郎共は、みんな月が大好きだった。 血のように赤い満月が。」

今夜の月は、緋色であった。

それはまるで、この夜に流された人々の鮮血を吸って赤くなった様であった。

緋色の、満月。

その真円の星を、灰色の雲が、霧がかかったように包み込んでいる。

その様子を、ラングラーの助手席から、無表情な中東人が感慨もなく眺めていた。

「アンタも、そいつが気になるのかい?」

伊達男は、卑猥な笑みを浮かべて尋ねた。

それは、嘲笑以外の何者でもなかった。

北アメリカ南部の貧乏白人ホワイト・レッグが、他の有色人種に対して示す、典型的な反応である。

クー=クラックス=クラン程ではないにしろ、彼らの中には、未だに開拓史フロンティア時代の白人至上主義が根強く残っているのである。

中東人は、何か言いたげに伊達男の方を一瞥したが、結局何も言わずに、再び月に目をやった。

まるで、イースター島のモアイのように、感情の感じられない表情だった。

「ははっ、スカしてんじゃねぇぜ、旦那。 宴の前だぜ。 血塗れの宴が始まるんだ。 素晴らしい夜じゃあないか。 こんなにも真っ赤な月の下で、何人も何十人も血を流すんだ。 バラバラと、ゴミ屑のように死んでいくんだ。 実に愉快じゃないか。 アンタは嬉しくないのか? 堂々とキリスト教徒共を虐殺出来るんだぜ? 勃っちまうだろ? はははははは。」

挑発するような男の言葉にも、中東人はまるで反応を示さなかった。

白人男は、自分が壁とでも話しているような錯覚に見まわれた。

「けっ、つまらねぇ男だ……。」

伊達男は、侮蔑の眼差しを中東人にやると、再び視線を車の前にやった。

沈黙の時間が、流れる。

そうして、しばらく沈黙の続いた後、唐突に中東人は口を開いた。

「赤い月は、穢れではない。 おそらく、貴様ら西洋人が思うような。」

男の英語は、ひどく発音が拙かった。

そして、その文脈は、ほとんどが英単語の羅列で構成されていた。

「何だって?」

白人は、何事か聞き返した。

「赤い月は、神が贄の血を吸っておられる証だ。 それはとても光栄な事なのだ。 我々、地を這う者共の意思が、天なる神の御許に届いたという事なのだから。」

「…………お言葉ですがね、アメミット=イアン。 アンタの生まれはアステカだったか? スペイン人に滅ぼされた、マヤの一族の末裔だったか?」

「宗教など問題ではない。 必要なのは、信仰だ。 いつの時代も、神は血を欲しておられる。 生贄の血を。」

「じゃあ、そいつはイスラームの教えか? コーランにそう書いてあるのか? 偉大なるアッラー様が吸血鬼だったとは、初めて聞いたぜ。」

白人は、嘲笑しながら、前照灯を上向きに切り替えた。

しばらくは、外灯の無い道が続きそうだった。

白人は、ラングラーのアクセルを、わずかに緩めた。

しかし、その傍らの席で、中東人が苦い顔をしたのには気づかなかった。

「履き違えるな、痴れ者。 私の祖国はイスラエルだ。 たとえこの身に流れる血がイスラム教徒共のものであろうとな。」

「おおっと、失礼。 ヤハウェこそが絶対神だったな、アンタら、ユダヤ教の教義では?」

「ヤハウェなどおらんよ。 あれは、始祖の生み出した妄想の産物だ。 私は、10年前、イラクで――――あの阿鼻叫喚の地獄と化したバグダッドでそれを悟った。 神は人を愛してなどいない。 神の愛しているのは、人の中に流れる赤い血なのだと。 だから私はユダヤ教を棄てたのだ。 30年来信仰していた、ヤハウェの教えを。」

「そして、今のアンタの神様はドラキュラ伯爵って訳だ。 はっ! 素晴らしい教えだ。 人民寺院のジョーンズ神父も、きっとそのイカれた神様を信仰していたのに違いない!」

「……口の利き方に気をつけろ、フィルス。 私にその気があれば、五分と待たず貴様の亡骸をイースト=リヴァーに浮かべる事が出来るのだぞ。」

中東人――――アメミット=イアンは、白人の揶揄に耐えかねたように言った。

怒気を孕んだ言霊だった。

それでも、イアンの表情は変わっていなかった。

「俺の亡骸をかい?」

「ロナルド=フィルスの亡骸をだ。」

アメミット=イアンは、白人の名を呼んだ。

フィルスの顔には、相変わらず軽薄な笑いが貼り付いていた。

それは、恐怖にひきつった笑いではなく、狂人の、底抜けの笑みであった。

「勘弁してくれ、ミスタ=イアン。 俺は、アマチュアだぜ? 脆弱な、非武装の一般人しか殺した事のない。 その俺が、モサド出身の本物の殺し屋を相手に出来るわけがないじゃあないか。」

「ならば、覚えておく事だ。 アラブ人は侮辱を許さない。 特に、貴様のような白人の若造には。」

イアンの太い唇が、一語一語区切るように言葉を紡いだ。

「次は、警告さえしてやれない……。 そう、警告をする事さえ。」

「………肝に銘じておくぜ。」

それきり、二人の会話は途切れた。

夜はまだ長い。

ラングラーの後ろには、十数台のハマーが続いていた。

真っ赤な月の光に照らされて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gun Crazy

CASE-02 Back Night@

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗殺請負会社マーダー・インク第四渉外局長、ブランカート=ケイツは、今、絶対絶命の窮地にあった。

彼が職場にしていた、サウス=ブルックリンの一画にあるビルに、アシュリー=シュマイカーの親衛隊が押しかけてきたのは、数十分前であった。

屈強な傭兵マーセナリー上がりの男達によって、事務所は徹底的に荒らされた。

窓ガラスはあらかた割られ、備品の数々には容赦なく銃撃の洗礼が浴びせられた。

職員は、皆暴行を受けて、血塗れで壁にもたれかかっていた。

そして、当のブランカートは、今まさに数十の銃口を鼻先に突きつけられている。

トカレフ。 マカロフ。 ベレッタ。 ザウエル。 ガヴァメント。 ルガー。 ワルサー。 ブローニング。

そして、その筆頭には、アシュリーの手にしたスミス&ウェスンM29の巨大な銃口があった。

 

「起きてるか、糞野郎ディッキー? 眠るのにはまだ早いぞ。」

剥き出しの殺気を隠そうともせず、アシュリーは言った。

ブランカートは、鼻腔からゴポリと血を垂れ流しながら、ガチガチと歯の根を鳴らして、目の前の光景を見ていた。

まるで、蛇に睨まれた蛙だ。

「ま、待ってくれ、ミズ=シュマイカー!」

イギリス人は、震える声で叫んだ。

「一体、私が何をしたと云うんだ!? 私たちは同胞じゃあないか! 何故、こんな真似を―――――」

ブランカートの言葉は、最後まで続ける事が出来なかった。

その中途で、アシュリー=シュマイカーの左の拳が、彼の鼻頭に叩き込まれたからである。

ブランカートは、短い悲鳴をあげて窓際に叩きつけられた。

鼻骨の歪んだ手応えがあった。

しかし、そのまま床に伏せる事は許されなかった。

親衛隊の一人が、彼の整髪油のねめつけられた髪を掴んで引き起こしたからだ。

ブランカートの頭皮に、鋭い痛みが走った。

「ふざけてんじゃあねぇぞ、英国野郎ライミー? 手前の世話した殺し屋ジョブキラー共のせいで、こっちは散々に面子を潰されてるんだ。 このままじゃ、こっちは、降格は勿論、下手すりゃ明日から後ろの穴アスホールで商売しなきゃならねぇ破目になる………。」

据わった目で、アシュリーは言った。

その言葉で、このヴァレンティーノ・ファミリーの相談役コンシリエーリが、完全にキレている・・・・・事を、ブランカートは悟った。

「どう落とし前をつける気だ、ケイツ? 手前の安い命じゃあ、ポテト・チップスだって買えやしねぇ。 血の報復オメルタを受ける覚悟はできてるんだろうな、ああ?」

「ま、待ってくれ、ミズ=シュマイカー! あの時間、ブルックリンにいた職業暗殺者達の中で、ニコラシカとオリガを上回るチームは考えられなかった!! あんた達も、あいつらの優秀さはよく知っているはずだろう!? そいつが敗れたんだ! 他にどんな人選が考えられるってんだ!?」

だから・・・?」

アシュリーは追従した。

「だから何なんだ、ケイツ? この業界は結果が全てだ。 手前がどんな努力をしてようが、そんな事は知ったこっちゃねぇんだ。 そんな事より、問題は、手前の世話した殺し屋共が・・・・・・・・・・・・アタシ達の顔に泥塗ってくたばった事が問題なんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「だからそれは――――――」

「………手前の“しかし”は、もう聞き飽きた。」

アシュリーが、パチンと指を一つ鳴らした。

その合図で、男達の中から、イタリア人の巨漢が歩み出る。

モリッツィオ=タミーノだった。

あのアシュリー=シュマイカーの専属ボディガードだった。

「黙らせろ、モリッツィオ。」

はいスィー。」

次の瞬間、モリッツィオの屈強な拳がブランカートの端正な顎を殴りつけた。

グシャッという、嫌な音がした。

血の混じった唾と、白い骨片が、モリッツィオの頬にかかった。

モリッツィオは、無言でそれを拭き取る。

ブランカートの口が、開いたまま戻らなくなった。

顎の骨が砕けたのである。

アシュリーの掌が、ブランカートの顎を掴み上げる。

ブランカートは激痛に呻いたが、アシュリーは意に介さなかった。

開きっぱなしの口に、銃口がねじ込まれた。

撃鉄が起こされる。

あばよアディオス英国野郎ライミー。 地獄コキュートスでニコラシカに逢ったらよろしく言っといてくれ。」

アシュリーは、眉を歪ませながら言った。

その指が、引き金トリガーにかかる。

 

その時だった。

唐突に、事務所の扉が蹴破られた。

男達の視線が、そちらに集まる。

 

開いた扉に、美貌のロシア人女性が立っていた。

黄金色のロングヘアに、190近い長身。

モデルと見紛うばかりのスタイリッシュな容姿だが、それは、刃物の持つ、危うさを秘めた美しさであった。

明らかに一般人とは一線を画す、怪物的な存在感。

その身に纏った空気は、野生の肉食獣の纏う獣臭に、非常に酷似していた。

それは、一連の任務より帰還したオリガ=ストレイヴィチであった。

彼女は、部屋を見回し、そして口内に銃口をねじ込まれたブランカート=ケイツの姿に目を留める。

アシュリーと視線が交錯すると、オリガはその視線を鋭くした。

「何の真似だ、ミズ=シュマイカー……?」

「見てワカらないか、露西亜女イワン。 お前達の尻拭いだよ。」

オリガの眉が、わずかに動いた。

「銃を下ろせ。」

「貴様が、命令できる立場にあると思っているのか、ストレイヴィチ? 我が組織の展望を賭けた任務で、許しがたい失態を犯した貴様に!」

男達の手にしている銃口が、その照準をブランカートからオリガに移すのがワカった。

それでも、オリガは身じろぎ一つしなかった。

銃を下ろせ・・・・・。」

彼女はもう一度言った。

その眼光が、アシュリーの目を貫いていた。

黙りなシャッ・ザ・ファカップ! 死に急ぎたいのか、小娘!!」

「そういう台詞は鏡に向かって言いな。」

アシュリーのこめかみに、青い静脈が浮き上がった。

彼女の怒気の矛先が、ケイツからオリガに向けられた。

―――――刹那。

ぞくり、とする物がアシュリーの脊髄を走り抜けていった。

肌が、粟立つ。

(何だ、これは!?)

アシュリーは自問した。

得体の知れない違和感を、その場にいた全員が敏感に感じ取っていた。

その時、不意に、オリガが歩きだした。

それが、あまりにも無造作な行動であったために、モリッツィオ達は、コンマ一秒反応が遅れた。

オリガの右手が動いた。

掌の中には、トカレフTT-33が握られていた。

「ッッ! 貴様ッッ!!」

「動くな。」

オリガは静かに呟いた。

モリッツィオは、懐に手を差し入れた体勢のまま、それ・・を取り出す好機を失った。

「動くなよ、タフガイ……。 そのまま、そのままだ。」

オリガは、ねめつける様にトカレフを動かした。

ブランカートの顔に、不安が色濃く浮かび上がっていた。

「こんな事をして、ただで済むと思っているのか……?」

「思っちゃいないさ。 ただ、ミズ=アシュリー=シュマイカー。 もう一度私にチャンスを欲しい。」

「何だと?」

アシュリーは思わず聞き返した。

「もう一度、ヤツらを暗殺する機会をくれと言っているんだ。 このまま奴等を生かしておく事は、私の矜持プライドが許さない。」

「手前のプライドなんざ―――――――」

アシュリーが何かを言いかけたその時、開かれた扉の後ろから二人の白人が姿を現した。

髭を蓄えた壮年の男と、禿頭スキンヘッドの青年だった。

アシュリーは眉をひそめたが、その二人の手にしたものを見て、はっとなった。

オーストリア製の短機関銃、ステアーAUGアゥグ=ライフルだった。

アイルランドやチュニジア、サウジアラビアといった紛争地帯でも盛んに使われている、実用的なモデルである。

その殺傷力は折り紙つきだ。

そう、例えば、拳銃で武装した相手を、簡単に皆殺しにする事ができる程に。

そして、アシュリーは、それらを手にした男達に見覚えがあった。

シカゴの首切り屋シカゴ・チョッパー”、トミー=クロフォード。

大法螺吹きビッグ・マウス”、カーター=クラシュキン。

いずれも、暗殺請負会社マーダー・インクの暗殺者だ。

いずれも、あの“悪戯少女ミスチーフ・レディ”ニコラシカ=ターレスに勝るとも劣らぬ、すさまじい技量の殺人技術の持ち主である。

噂によると、両人とも、元・米海兵隊で実戦経験を持つ、凄腕のプロフェッショナルであるという事だ。

暗殺請負会社マーダー・インクも嘗められたもんだな、ケイツの旦那? ケネディの時代の、あのイキの良さは、一体全体どこに行っちまったんだ?」

トミーは、濃いブロンド髭を摘みながら言った。

「そうとも。 俺達ぁ、職業的殺人者ジョブキラーだ。 職業的殺人者ジョブキラーなんだ。 ギャング共の発祥前からずっと、こいつ一本でおまんま・・・・を食ってる……。 それが、副業で殺しやってるマフィア共になんか嘗められちゃあいけねぇな。」

カーターは、髑髏の刺青の彫られた禿頭を撫でながら言った。

「お前達……」

ブランカートは、たじろぎながら、かろうじてその言葉を紡ぎ出した。

(今がどういう状況なのか、ワカっているのか?)

そう言葉を続けようとしたのだが、どうやらあの二人の殺し屋は、彼が感慨に蒸せっているのと勘違いしたらしかった。

「どういう心算だ、貴様ら? そこの露西亜女イワンに唆されて、上司の弁明にでも来たのか?」

アシュリーは、嘲弄するように言った。

敵の得物にいちいち臆していては、マフィアの幹部は務まらない。

黒社会は、その瞬間瞬間が命の駆け引きなのである。

「愛社精神だと言って欲しいね、ミズ=シュマイカー。」

トミーは、言って肩を竦めた。

「そうとも。 だから、こうして自ら進んで時間外労働に勤めている訳さ。 ミスタ=ケイツ、勿論、後で残業手当は出るんだろうね?」

カーターが言った。

まるで緊張感のない言だった。

どうもこの二人の掛け合いを聞いていると、出来の悪いコメディアンを見ている気分になる。

「………お前達は黙っていろ、阿呆共。」

オリガは、二人の殺し屋に、痛烈に言った。

トミーとカーターは、曖昧な笑みを浮かべて、アゥグ=ライフルの筒を縦にした。

「ミズ=シュマイカー、見ての通りだ。 今度の任務には、こいつ等も加わる。 いや、こいつ等だけじゃあない。 今現在、東海岸イースト・コースト北部に駐留する、あらゆる暗殺請負会社マーダー・インクのエージェントが、総力を挙げて狐狩りに打って出る……。」

「何だと?」

「コイツは、暗殺請負会社マーダー・インクの沽券の問題だ。 そうとも、この事態を重く見ているからこそ、我々はこういう手段に辿り着いた。 殺すか殺されるかの銃撃戦も覚悟の上だ。 組織の不名誉の挽回は無論の事、ヴァレンティーノ・ファミリーの繁栄にも最大限尽力しようとしている……。」

オリガは、そう言ってからトカレフの銃口を下げた。

その時だった。

モリッツィオの懐から、オートマグVの抜き身の長銃身ロング・バレルが顔を出した。

部屋の空気が、一瞬にして凍りつく――――――

馬鹿野郎がストゥープッ!!」

トミーが、叫んだ。

ブロンド髭のアメリカ人は、懐から投擲用スローイングナイフを取り出すと、視認さえ許さぬ俊敏な動作で投げつけた。

悲鳴。

オートマグVが、宙を舞った。

見ると、モリッツィオの右手首に、スローイング・ナイフが深々と刺さっていた。

空気が、震えた。

傭兵上がりの男達の中で、怒気がはちきれそうに膨れ上がってゆくのがワカった。

「イタ公が! 付け上がりやがって!!」

カーターが挑発するように、左の中指を付き出した。

「それが手前らの回答か!?」

次いで、トミーが低い怒声を挙げた。

まるで、この二人は、双子の兄弟のように、感情すら共有しているように見えた。

「だったら、どうした!?」

親衛隊の一人が、叫んだ。

「吊るしちまおう! 吊るしちまおうぜ、こいつら! アメ公ごときに好き勝手言わせておくのは、俺の中に流れるシチリアの血が許さねぇ!!」

「来な、クソ野郎! 手前の頭蓋に風穴開けて、脳味噌をファックしてやる!!」

「生ゴミになりな! 薄汚い生ゴミに!! 手前らは豚の餌だ! 暴力に懺悔しなサック・マイ・ディック!!」

親衛隊達は、ドラッグ=パーティーのように徐々に興奮を昂ぶらせつつあった。

さながら、インチキ教祖の拝礼を賜ったカルト集団のごとく。

ガチガチガチと、金属音が次々に鳴った。

男達が、自身の拳銃の安全装置を一斉に外す音だった。

 

「鎮まれ!!」

怒号一閃。

それは、室内にいた全ての人間の鼓膜を激しく震えさせた。

親衛隊達の怒気が、潮騒のように引いて行く。

アシュリー=シュマイカーの叱咤は、興奮しきった親衛隊達を一瞬で沈黙させた。

「勝手な真似をするな、タミーノ! 死にたいのか!?」

「も、申し訳ありません、ミズ=シュマイカー……。」

未だドクドクと血を流す右腕を押さえながら、モリッツィオは言った。

凝固した血液が、ゼリー状になって、イタリア人の太い指にこびり付いていた。

沈黙。

やや間を置いてから、アシュリーは口火を切った。

「お前達の言う事はわかった……。」

「!? ミズ=シュマイカー!!」

親衛隊の一人が、信じられないと云うように叫んだ。

しかし、その男もアシュリーに一睨みされて黙ってしまった。

「いいだろう、次が最後の機会だ。 だが、勘違いするなよ。 今回はあくまで暗殺請負会社マーダー・インクの顔を立てたと云うだけだ。 貴様が我々の顔に泥を塗ったという事実に変わりはない……。」

アシュリーの眼光が、オリガの目を射抜いた。

毒蛇の目だった。

アシュリー=シュマイカーは、ハイヒールの踵を返すと、颯爽とその場から引き上げた。

親衛隊達も、得心のゆかぬまま、渋々ながら部屋を後にした。

無論、彼らはその前にオリガ達に威嚇の一睨みを忘れはしなかったが。

「………オーケイ。 覚えておこう、ミズ=シュマイカー……。」

オリガは、鮮やかにトカレフの銃身を回転させると、ホルスターに収めた。

「ケイツ。 聞いての通りよ、すぐにエージェント達を手配して。」

ブランカート=ケイツは、呼ばれて、ようやく夢想から冷めたように我に返った。

「追撃戦は時間との勝負よ。 アンタには今夜一晩、ロバのように働いてもらわなきゃあならない……。 なに、それで命が助かったんだ、安いもんだろう?」

オリガは、言って、にっと笑った。

ブランカート=ケイツは、懐からハンカチーフを取り出すと、額の汗を拭った。

額は脂汗でびっしょりと濡れていた。

「お前は……お前という奴は………」

何を言おうとしたのか。

罵倒であったのか、それとも謝礼であったのか、ケイツは思い出せなかった。

ただ、自分がこのロシアの女殺し屋に、とんでもない借りを作ってしまった事だけはかろうじて理解できた。

「トミー、カーター。 火力を手に入れたら、すぐに出るぞ。 州警察も連邦捜査局もクソっ喰らえだ。 派手に銃撃戦ドライブ・バイをブチかましてやろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

棗春彦は、淡いまどろみの中で目を覚ました。

枕元の時計を見る。

午前2時半だった。

約一時間、仮眠を取った事になる。

いまだ自分が作戦行動中にいる事を考えれば、十分に過ぎる睡眠時間だ。

これが不定期戦であるなら、睡眠は五分単位に区切られる。

しかし、わずか一時間足らずの睡眠だというのに、随分と長い夢を見ていたような気がする。

タンクトップが、汗でびっしょりと濡れていた。

どうやら、いい夢ではなかったようだった。

春彦は、上着を羽織ると、愛用するシグ=ザウエルを帯に差して部屋を出た。

 

ホテルの三階の突き当りが、見張り組に充てられた部屋だった。

明日の朝を迎え、ワシントン支部の人間にMOディスクを渡すまで、MOの見張りをするための。

無論、ホテル側の人間は全てディナ=シーに籍を置く人間であり、ホテル自体も鉄壁の警備システムに守られていたが、所詮は人間の作った人造物だ。

“絶対”はあり得ない。

そこで、春彦達、ディナ=シー選りすぐりのエージェントがその見張りをする事となったわけである。

それは、決して過ぎた心配ではなかった。

もし、相手の背後にあの組織がいるなら・・・・・・・・・、これでも生温いくらいだ。

 

春彦が、その部屋の扉を開けると、中では劉黒龍、キャサリン=シーカー、そして、ホテルに駐在していたドイツ人エージェント、カール=フランクスが、深夜のニュース番組を見ながら眠そうに目を擦っていた。

狙撃手であるキャサリンは、愛用するルーマニア製の狙撃銃の分解・整備に余念がなかった。

FPKスナイパーライフル。

普段からカラシニコフ突撃銃を扱う機会の多い彼女は、同じ構造の流れを組むそのスナイパーライフルをとりわけ愛用していた。

「遅いぜ、春彦。 アイリスと圭はとっくに寝ちまった。 起きてきたのは、お前が最後だ。」

劉黒龍は不機嫌そうに言った。

ただでさえ鋭い目つきが、ほとんど半眼になっていた。

「すまん、寝過ごした。」

春彦は、ぼさついた頭を掻いて弁解する。

「まぁ、いいじゃないか、黒龍。 今夜は大変な夜だったんだ。 五分やそこらの遅刻、多めに見よう。」

「カール、甘いぞ、お前。 俺たちはカレッジ・スクールのサークル団体じゃねぇんだ。 一分一秒の油断が命取りになる。 仲良しごっこなら他でやりな。」

黒龍は、ドイツ人ににべもなくそう言い放つと、飴の袋を取り出した。

「本当は煙草が吸いたいが、火器を取り扱ってる最中だしな…。」

キャサリンの手元を一瞥した後、黒龍は、飴をひとつ、口の中に放り込んだ。

「春彦、今は重要な作戦の最中だ。 ここは戦場の蛸壺なんだと思いな。 お前は、蛸壺の中で悠々と眠ってられるのか? いつ手榴弾が飛んでくるのかもワカらない蛸壺の中で?」

「…………悪かった。 以後は、気をつける。」

黒龍は、苛立たしげに舌打ちすると、口の中でガリガリと飴を噛み砕いた。

唾液の熱で溶解した糖分が、口腔からゆっくりと染み込んで来る。

蕩けた飴の欠片は、わずかにミルクの味がした。

「………悪ぃ。 俺も疲れてるみてぇだ。」

黒龍は、視線を目の前のテーブルに落とした。

海泡石の灰皿が、そこに乗っていた。

「無理もないわよ、今夜は不測の事態のオン・パレードだったんだから。」

「こんな事は蘇州じゃ慣れっこだったさ。 むしろ生温いくらいさ。」

キャサリンの労いを、しかし黒龍は受け付けようとはしなかった。

「だったら、何でそんなに苛々してんのよ? ヒステリーみたいでみっともないわよ。」

「苛々なんかしてねぇよ。 ただ、何か煮えきらねぇもんがあるだけだ。」

「それを苛々してるって言うのよ、馬鹿。」

「何だと?」

黒龍と、キャサリンが睨み合った。

剣呑な空気が、生まれる。

春彦とカールは、居心地の悪さを覚えた。

付けっぱなしのブラウン管の中だけが、呑気に健康器具の通信販売のCMをやっていた。

『ハァイ、ジェフ。元気でやってるかい?』『やぁ、マイケル。実は今、悩みがあるんだ。』『何だい、僕でよければ相談にのるよ。』『実は、最近よく眠れないんだ。』『寝不足かい?』『そうなんだよ。』『そんな時、いいものがあるよ。』『本当かい?』『ほら、こいつさ。これはバラライカ抱き枕と云って―――――― 

「あ……なんか、喉が渇いたねー。 僕、ロビーの自販機で何か飲み物買ってくるよ。」

殺伐とした空気に耐えられなくなったのか、カール=フランクスは、不自然すぎるほど明るい声で言った。

そのドイツ人は、立ち上がって部屋を後にした。

ドアの閉まる音。

タイミングをはぐらかされて、毒を抜かれた二人は、互いにそっぽを向いて、再びそれぞれの作業に没頭し始めた。

再び、退屈な警備の時間が始まった。

 

 

 

 

 

カール=フランクスは、緑色の蛍光灯のわずかな明かりを頼りに、ロビーに向かった。

時間帯が時間帯なだけに、チェックインの受付は閉まっていたが、掛かりつけの警備員室には、まだ明かりが灯っていた。

面識こそないが、彼らもまた、ディナ=シーの息のかかった人間達である。

 

カールは、自動販売機の前に立つと、その貧相なラインナップに辟易とした。

カール=フランクスがアメリカ東海岸に赴任してきて、カルチャー・ショックを覚えた事の一つに、店頭で販売している飲料水の自由度の低さがある。

アメリカ人は、飲むものなら何にでも炭酸を入れたがるのである。

コーヒーやポカリスエットにまで炭酸を入れて出された時には、正直、アメリカ人は味蕾細胞が壊死しているとまで思ったものだ。

炭酸の嫌いなカールのような人間にとっては、炭酸以外の飲み物がないというのは、ちょっとした苦行である。

しかし、人間の適応性というのは優れたもので、カールはすぐに、飲む前に炭酸を抜くという事を思いついた。

その分、舌には甘く感じるが、喉を痛くするよりマシだ。

カールは、グレープフルーツのジュースを選ぶと、念入りに振った後で、トイレの洗面台で炭酸を抜いた。

 

ロビーの入り口を抜けて、外に出る。

今、あの部屋に戻るのは、ことさらに気が重かった。

もう少しは、ここで時間を潰してもいいだろう。

カールは、夜風に当たりながら、ジュースの缶に口をつけた。

爽やかな酸味と苦味が、乾いた喉に心地よかった。

ジュースを飲みながら、カールは改めてホテルの外を見渡した。

 

………これは一種の要塞だ。

外壁に耐火素材を使ったホテルに、外の庭園には三桁近い数の赤外線センサーが取り付けられ、侵入者どころか小鳥一匹の存在すら容易に認知する事が出来る。

無音暗殺術の使い手は、カールも何人か知っているが、これにはお手上げだ。

例えば、東洋のどんな気功の達人であろうと、気配は消す事は出来ても、己の存在まで消す事はできない。

――――――――だが。

これを攻略する方法はない事もない。

少なくとも、カールが攻める側ともなれば、この要塞を攻め落とす方法が、ぱっと見でも三つは思い浮かぶ。

一つは、センサーの有効射程外からの超長距離射撃。

一つは、ヘリコプターなどの小型航空機による上空からの攻撃。

そしてもう一つは…………

 

チカッ。

(………………?)

カールは、庭園の外で、何かが点滅したような気がした。

自転車か何かだろうか。

こんな時間に?

カールが訝しく思ったその時、花火か何かを打ち上げるような、ヒュウゥ、という金切り音が聞こえてきた。

(………ッッ!!)

カールは、その音に聞き覚えがあった。

―――――どこで?

それは戦場でだ・・・・

何かが飛来してくる!

このロビーに向かって、何かが飛んでくる!!

そして、カール=フランクスは、その飛来物の正体が何であるかももうワカっていた。

ああ、そうだ。

これはアレだ。 名前はなんと云ったかな。

そうだ、確か―――――――――

 

「サ……サンタ=バーバラ40LAGだとォッッ!!」

 

その恐るべき爆発力を秘めた40mmグレネード=ランチャーの名を、カール=フランクスは絶叫した。

しかし、その叫びの余韻は最後まで続かなかった。

耳をつんざく爆発音が、さながらさざなみを津波が飲み込むように、その声をかき消してしまったからだ。

一瞬後、ホテルのロビーは紅蓮の炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

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