「圧倒的な火力によるピンポイント攻撃。 これが正しい答えだ。」
暗い庭園の茂みの奥で、中東人は言った。
ホテルまで、距離にして、おおよそ800ヤード。
たった今、砲弾を撃ち込んだばかりのホテルのロビーからは、オレンジ色の炎に照らされた煙がもうもうと舞い上がっている。
素晴らしい眺めだった。
まるで、殺戮の女神アナトが、これから始まる我々の血みどろの闘争を祝福してくれているかのようだ。
アメミット=イアンの、感情に乏しい無骨な顔に、かすかな喜色が浮かんだ。
「どんな堅牢な要塞であろうと、それは人間の利用する施設である以上、必ず防御の薄い部分は存在する。 それを正しく見極めた上で、最大の火力で以って一点集中攻撃。 史上の歴史に於いても、その作戦の有効性は幾度も証明されている。」
アメミットは、強化アラミド繊維による防弾処理を施したブルーブラックのジャケットを身に纏って、茂みの中を歩いていた。
無造作な歩き方であるにも関わらず、何故、小枝の折れる音が少しもしないのか、ロナルド=フィルスは不思議に思った。
茂みに潜んだエージェントの一人が、灼けたグレネード=ランチャーのトリガーに手をかけたまま、アメミットの指示を仰ぐ。
中東人の太い唇が、わずかに変化を見せた。
「二撃、三撃を撃ち込め。 躊躇うな。 突破口が開け次第、我々は突入する。」
アメミットの命令は冷淡だった。
その命令は、すぐに実行に移された。
野太い発射音の後、砲弾は再び、白煙の軌跡を残しながら放たれた。
着弾。
すさまじい大音量の爆発が、大気を震わせた。
轟音と共に、ホテルの窓ガラスが次々に破損する。
防火システムが、堰を切ったように喧ましく鳴り出した。
「頃合いだ。」
アメミットは、彫りの深い眼窩の中で、焦げ茶色の眼球をぎょろつかせた。
「これより、強襲作戦に移る。 事前に指示したように、五班、それぞれの配置につけ。 ロナルドの指揮するA班は正面より。 私の率いるB班と、そしてC班は、それぞれ別の経路から突入し、標的を挟撃する。 D班とE班は、施設の外での待ち伏せ。 標的が上階からの脱出を図った時は、容赦なく狙撃しろ。 鴨撃ちだ。」
「了解!」
小型マイクの向こうで、男達が答える。
アメミットは、わずかに頷くと、ウズィ・サブマシンガンを取り出した。
アメリカ大統領のシークレット=サーヴィスも正式に採用するほどに信頼性の高い、イスラエル製の短機関銃である。
腰のベルトに吊っている拳銃は、ベレッタM92Fであった。
共に9ミリ口径のパラベラム弾を使用する為、互いに互換性を持っている。
「実戦経験は、いつ以来ですか、ミスタ=イアン?」
先ほど、ランチャーを発射した米国人のエージェントが、クチャクチャとガムを噛みながらアメミットに話し掛けてきた。
たしか、名前はジャックと云ったはずだ。
ニグロの血の半分混じった、白黒混血らしい。
もっとも、そんな事はアメミットにとってはどうでもいい事だったが。
「そんな事を聞いてどうする?」
「ただの興味ですよ。 上官殿の戦歴くらい、知っておきたいでしょう?」
「くだらん。 それを知って、貴様の働きが何か変わるとでも云うのか?」
「軽い社交辞令みたいなもんですよ。」
ジャックは、噛んでいたガムを、プゥと膨らませた。
アメミットは、相変わらず無表情のままだった。
「………二ヶ月前だ。 北アイルランドで仕事をした。」
「何をやったんです?」
「それは言う訳にはいかん。 その内容について、黙秘を続ける事も、前の契約に含まれている。」
「傭兵の鑑ですね、貴方は……。」
ジャックは肩を竦めると、自身も短機関銃を取り出した。
以下、八名がそれに続いて筒を掲げる。
「与太話は終わりだ。 B班諸君、作戦を開始するぞ。」
副官のジャックを始めとする、九人のエージェントがそれに応えた。
Gun Crazy
CASE-02 Black NightA
カール=フランクスは、半身に致命的な火傷を負っていた。
着弾の瞬間、咄嗟にロビーのソファーの下にもぐり込んで、爆発の直撃を避けたものの、如何せんその火力を完全にシャットアウトするには至らなかった。
そして、決定打となったのは、続いて撃ち込まれた第二射であった。
その膨大な熱量は、このゲルマン人の肉の表層を覆う白い肌を、激しく灼いたのである。
人間が、その皮膚の三分の一以上を損傷すると、皮膚呼吸をする事が出来ず、死に至ることは、一般にもよく知られた事実である。
カール=フランクスの火傷は、明らかにその致命量を上回っていた。
その身を苛む激痛は、おそらく言語に絶する凄まじいものであるのに違いない。
しかし、このドイツ人は、超人的な精神力でそれに耐えていた。
神がかりじみた気力で、冷静に事態を把握するのに努めた。
(何が起こった!?)
ただ頭の中で思考を紡ぐという、ただそれだけの事が、今のカールには凄まじい重労働であった。
ともすれば身を掻き毟らんばかりの激痛が思考をかき乱し、あるいは自身の延命を最優先しようという甘い誘惑が脳裏に湧き上がってくる。
だが、カールはまず、現状を把握するという、その一点に努めた。
それは、鉄のようなゲルマンの矜持と、確固としたプロフェッショナルの自覚が可能とした物に違いあるまい。
(奇襲だ!)
カールはまず、それを理解した。
施設の監視の届かない、射程距離外からの攻撃を受けたのだ。
それも、人の出入りの為に、最も装甲の薄くなっているロビーを狙い撃ちにしている。
800ヤードを超える超長距離狙撃。
それも、スナイパーライフルではなく、極めて安定感の希薄な、グレネード=ランチャーでだ。
そんな事の出来る手合いが、果たしてギャングなどの中にいるだろうか?
あの、アルバート=アナスタシアの創り上げた暗殺請負会社の中には?
ない、と断言する事は出来ない。
しかし、常識から考えれば、ない、と断ずるのが普通だろう。
実際、カールも、可能性としては考えていたものの、それは全く防衛戦としての想定の外にあった。
見くびっていた!
敵の戦力を見誤っていた!
今はその後悔が、彼の胸中に渦を巻いていた。
今の爆発で、上階の仲間達も、異変に気が付いているだろう。
状況を伝えなければならない、今すぐに。
カールは、懐からベレッタM92Fを取り出すと、素早くコッキングした。
一番怖いのは、動作不良だ。
今の爆発で、銃身には相当の衝撃がかかっている。
まともに作動するかどうかは、かなり怪しい。
仮に撃てたとしても、今の自分ではまともに狙いをつける事が出来るかどうか……。
その時だった。
廊下の向こうから、どたどたと数人の足音が聞こえてきた。
音からして、大人の男のものだった。
懐中電灯の光が、縦横無尽に廊下を駆け巡る。
光が、カールの腰を照らし出した。
男達は、このドイツ人の姿を確認すると、腰から拳銃らしき物を取り出して、カールに向けた。
どうやら、相手は四人のようだった。
「動くな!!」
男達は叫んだ。
カールは、おとなしく手を挙げた。
相手が誰であるか、わかっていたからだ。
その動作の拍子に、肩の火傷が悲鳴を上げた。
「銃を捨てろ!!」
男達は警告した。
従わなければ、撃つ。
そういった空気が、男達の肌からひしひしと伝わってきた。
「待てよ……俺だ…。 フランクスだ……。」
カールは、病人のように弱々しくその言葉を紡ぎだした。
脂汗が、たらたらと額を伝った。
銃を突きつけた男達は、訝しい目でもう一度彼の方を見た。
向こうも、ようやく彼が誰であるのか知ったようであった。
「ミ、ミスタ=フランクス!?」
「そうだ、俺だ……。 コードネームは“R”…。 本人に違いない………。」
カールは、火傷の痛みに顔をしかめながら言った。
相手は、ホテルの詰め所に駐留していたディナ=シー側の警備員であった。
暗闇であったため、カールの事に気が付かなかったのだ。
「何故こんな時間に……。」
「説明……する…気力が……今の俺には…無い……。 頼む…誰か……肩を貸して…くれないか…?」
かすれる声でそう言うカールの様相に、ただならぬものを感じた年長の警備員が、初めてカールの全身を照らし出した。
そして、その身体に刻まれた夥しい火傷に、全員が驚愕した。
「ミ…ミスタ=カール! その火傷は……!!」
「春彦達に……伝えなきゃならない…。 頼む……上に………。」
警備員達は、大きく頷くと、両脇からカールの肩を支えた。
残る二人が、拳銃を抜いて辺りを慎重に見回す。
火の手の上がったロビーの方では、もうスプリンクラーが動き始めていた。
あの区画は、可燃物もほとんど無いので、じきと消火されるだろう。
だが、本当に恐ろしい二次被害はこの後にやってくるのに違いあるまい。
バララララララララララ!!!!!!!!
ホテルのロビーに、弾丸の雨が降り注いだのはすぐだった。
挨拶代わりの突撃掃射といった所か。
カールの赤剥けの背中を、冷たいものがゆっくりと昇ってきた。
(短機関銃だ! それもかなりの数の!!)
何て事だ!
あまりにも敵の動きが早すぎる!
二人の若い警備員が、ロビーの方向に拳銃――――コルト=ガヴァメントM1911を構える。
交戦する気だ。
それは無謀な行為だった。
あまりに詮無き行為だった。
二挺ばかりの拳銃が、多勢の機関銃に敵うはずが無い。
「おい……」
カールが、何事かを言おうとしたその時であった。
「ジェフ。 ステファン。 ミスタ=カールを連れて上の階へ。」
警備員の一人が、カールの言葉を遮って、肩の二人に言った。
「時間が無いんだろう? 早く行け。 悪いが長くは持ち堪えられる自信が無い。」
「お前等………。」
ジェフと呼ばれた警備員の男は、驚愕に目を見開いた。
その言葉が何を意味するのか、はっきりと理解したからだ。
「何してんだ、さっさと行け! 何、こんなとこで死にゃあしねぇさ、俺は悪運が強ぇんだ。 生きて帰ったら、青銅勲章は確実だな。」
もう一人の若い警備員がジョークを交えて言った。
しかし、その言葉尻ははっきりと震えていた。
ジェフの視線が、揺らぐ。
その目には、形容し難い情感が渦巻いていた。
短い逡巡の後、ジェフは血を吐くように言った。
「すまない……。」
ジェフとステファンの二人は、カールを左右から支えると、足早に非常階段を目指した。
銃声はすぐ近くまで迫ってきていた。
「なぁ、ヘンリー。 マイケル=ディビッドソンの『我が帰らざる故郷』って歌知ってるか?」
若い警備員は、銃を構えたまま、相方に訊いた。
「いや、知らんね。」
「……そうか。 いい歌なんだがな。」
「ジミ・ヘンよりもか?」
「彼は別格だよ。 これでもティーンエイジの頃には、レスポール片手にレントンのグリーンウッドに行った事もあるくらいだ。」
「素晴らしいな。 青春時代に『煙草の煙』に心酔していた少年が、今じゃ硝煙まみれって訳だ。」
「皮肉なもんだ。 神様ってな、つくづく罪作りな事をしてくれる……。」
暗い廊下の向こうから、複数人の靴下音が聞こえてきた。
十人? 二十人?
銃声で鼓膜の張り詰めた耳では、正確な人数を計る事は出来そうも無かった。
ただ、それが自分達の手に余る人数である事は、まず間違いなさそうだった。
「お迎えが来たみたいだぜ……。」
ヘンリーは銃把を握る手に力を込めた。
親指の付け根が、汗でじっとりと湿っていた。
暗闇の中から、唐突に一人の男が姿を現した。
鼻梁の通った、白人の伊達男だった。
二人の警備員は、目を疑った。
それは、その男の、あまりに場違いな風体故であった。
スーツ姿なのだ。
これからマンハッタンのウォール街に商談にでも行くような格好で、男はこの硝煙の霧の中を歩いているのである。
警備員達は、違和感というよりも、不気味なものを男から感じ取った。
それは、得体の知れない何かと遭遇した人間が感じる、純然とした恐怖であった。
「動くな!」
警備員は叫んだ。
伊達男は、その警告に足を止めると、その形のいい唇をゆっくりと笑みの形に変えた。
愛嬌のある、魅力的な笑みだった。
「どうした、撃ってこいよ。」
男は、はっきりとした東海岸の標準英語で言った。
「その方が簡単だぜ。」
男は、自身の身体を銃口の前にさらけ出す様に、両腕を広げた。
ヘンリー達は躊躇した。
降伏した非戦闘員の身柄は、国際法によって保護されている。
果たして、撃ってもいいのか。
撃つべきなのか。
そうこうしている内、瞬く間に男の後ろから、足音が詰めて来た。
廊下の向こうから、十数人の男達が姿を現した。
全員、短機関銃で武装している。
ヘンリー達の肌が、ぷつぷつと粟立った。
言語に絶する恐怖感に、目眩がしそうだった。
「だから言ったんだよ。 撃った方がイイって……。」
男が、また笑った。
ヘンリーは唐突に理解した。
何故、この男の優しい笑みが、こんなにも恐ろしいのか。
それは未知への恐怖故にではなかった。
それは、男の笑みがあまりにも優しすぎるからだ。
それは、悪魔の持つ、人を篭絡する優しさだからだ。
本能が感じ取ったのだ、この笑みに心を絡め取られるのは危険であると。
そして、それを理解した時には、全てが手後れだった。
無数の短機関銃の銃口が、二人の姿を捉えていた。
殺気が、突風のようにヘンリー達に叩き付けられる。
それは、あまりにも酷薄な、戦場の空気だった。
「………ママ……………!」
ヘンリーは、ズボンの中が生温かくなるのを感じた。
カール=フランクスは、二人の警備員―――ジェフとステファンに支えられて、吹きっさらしの螺旋階段を登りつめていた。
晩秋の寒波が、赤剥けの火傷に、針を刺すような痛みを与える。
だが、それも仕方がない事だった。
エレベーターを使うのはあまりにリスクが高すぎる。
たとえ苦痛を伴うものであろうと、この場合は非常階段を使ったほうが賢明である。
「今しばらく辛抱してください、ミスタ=フランクス……。」
ジェフは言った。
「すぐに着きますから…。」
彼の言葉が耳に入っているのかいないのか、カールは終始顔を歪めたままであった。
その目はひどく虚ろで、生気が感じられなかった。
意識が、朦朧としているらしい。
危険な状態だ。
このドイツ人エージェントの身体を覆うケロイド化した皮膚は、大の男であるジェフ達にすら、正視に堪えぬものだった。
本来ならば、早急に集中治療室に運び込まなければならない程の重傷である事は間違いない。
「ミスタ=フランクス、もうすぐです。 もうすぐ……」
もう一人の警備員が、カールに労いの言葉をかけたその時だった。
何の前触れもなく、その青年の身体が宙を舞った。
見えない力に引っ張られるように、青年の足は螺旋階段から離れ、階段の下に落ちていった。
「ステファン!!」
ジェフが、その青年の名を叫んだ。
薄ら寒いものが、彼の胸中に沸き立つ。
八段ばかり階段を転げ落ちたその青年は、そのまま倒れて動かなかった。
ジェフとカールが目を凝らすと、その青年はすでに事切れているのがわかった。
その青年のこめかみが、真っ赤な血に濡れていたからだった。
それは、決して今倒れこんだ時にできた傷ではない。
弾痕だ。
それも、小口径高速弾で一気に貫通された時特有の、極めて鮮やかな弾痕だ。
狙撃だ。
この階段は、階下から狙い撃ちにされている。
それも、高性能減音器を使った、無音射撃で。
「何故だ!?」
ジェフは、姿勢を低くしながら叫んだ。
「あり得ない! あり得ない!! 待ち伏せなんて!! 警備は、さっき破られたばかりじゃないか! 何故、こちらの逃走経路が筒抜けになっているんだ!?」
中年の警備員は、腰に差したガヴァメントの安全装置を解除した。
手すりの隙間から、階下の広大な庭園を見渡す。
昏い茂みがいくつも目に入った。
隠れようと思えば、いくらでも隠れる事のできそうな空間ばかりであった。
だがしかし、普段は幾重にも張り巡らされた赤外線センサーが作動しており、野鼠一匹分もの死角も無くしている。
もし何かが潜んでいれば、すぐさま、けたたましいブザーが鳴り響いているはずだ。
(何故ブザーが鳴っていないんだ!? 何故!!)
ジェフは、そこまで考えた時、ふと、とんでもない仮定に行き着いた。
(もしかして……作動していないのか? 赤外線装置が?)
ジェフは、庭園の向こうに居並ぶ、長い塀に目をやった。
そこで、ジェフは、あっ、と声を上げそうになった。
いつもは赤い光を点しているセンサーのライトが、一部区画だけ完全に消えていた。
作動していないのだ。
センサーが止められている!
何者かがセンサーを止めている!!
だからブザーが鳴らなかったのだ!!
すでに中央管制室は敵の手に落ちている!!
ジェフは、震える手でガヴァメントの照門を調整した。
その直後であった。
ジェフのすぐ近くにあった手すりが、小気味良い音を立てて破裂した。
弾丸が、撃ち込まれたのだ。
何かの間違いであって欲しいというジェフの願いは、完全に否定された。
向こうは、間違いなくこちらの存在に気が付いている――――――
「…………て……いる……」
カールの口が、何がしか言葉を呟いたのを、ジェフは聞きとめた。
「えっ、何です、ミスタ=フランクス?」
ジェフは、カールの口に耳を近づけた。
カールは、上半身を起こして、正確な発音をする事に努めた。
「…ホテルの……見取り…図が……漏洩して……いる………。 それ以外に………考え…られない………この…侵攻の早さは……。」
カールの声は、先と比べて大分弱々しくなっていた。
「そんな事が―――――――」
チュンッ! チュンッ、チュンッッ!!
手すりが、弾けた。
銃声が、まるで聞こえない。
敵は、よほど高性能の減音器を使用しているらしい。
着弾の音と衝撃によって、ジェフ達は、かろうじて自分達が狙撃を受けているという事を知ることが出来るのである。
まるで、網の中の鴨だ!
銃声が聞こえなきゃあ、敵を見つけようがないじゃあないか!
――――――――いや、一つだけ方法がある。
一つだけ。
ただ、それは恐ろしく危険を伴なう方法だ。
何しろ、自身の命を、一旦、敵の銃口に晒さなきゃあならない。
その方法とは、敵の銃の閃光を肉眼で確認する事だ。
何しろ、敵の銃口の位置を直接目で確認するのだ。
これ以上確実な方法はない。
しかし、同時に相当に分の悪い賭けでもある。
もしも敵が消光器を使っていたら、それでお終いだからだ。
そうなったら、ロシアン・ルーレットが一月六日の指輪探しゲームに思えてくるような、とち狂った度胸試しは全くの徒労で終わる。
ジェフは、今、人生で最も大きな決断を迫られていた。
今の女房にプロポーズした時でさえ、これほど命がけで悩んだ事はなかった。
自身の心臓が脈を打つ音が、彼の鼓膜にはっきりと届いてきた。
(――――――――)
動いた。
立ちあがった。
手すりから身を乗り出した。
その隙間からガヴァメントを突き出した。
(見逃すな!!)
ジェフは目を見開いた。
10秒……いや、5秒の間でいい。
決して瞬きをしてはならない。
決して!
見るのだ。
見極めるのだ。
敵の正確な位置を。
チカッ。 チカッ。
(見えた!!)
ジェフは、ケヤキの木蔭で何かが光るのを確かに確認した。
茂みの中でなかったのは意外であったが、確かにそこに敵がいる事を確認した。
そして、敵は消光器を使ってはいなかった。
ジェフは賭けに勝ったのだ。
距離は、おおよそ40ヤードと云ったところか。
充分にガヴァメントの射程圏内だ!
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
ジェフは、ガヴァメントの弾を、弾倉が空になるまで一気に撃ちつくした。
遊底が、灼けた空薬莢を吐き出しながら、激しくピストン運動を繰り返す。
カチカチと、弾切れを告げるトリガーの音を確認した後、ジェフはすぐにケヤキの方を見た。
暗闇の中で、人影が、ゆっくりとそこに倒れこむのを、ジェフは確認した。
狙撃手は、そのままそこで動かなくなった。
ジェフの肉体を、射精にも似た達成感が貫いた。
(やったんだ、俺が……。)
不意に、気が緩んだ。
(やったんだ、俺が。 やったんだ、俺が! やったんだ、俺が!!)
ジェフは、その感動に、涙すら覚えそうだった。
ただの一警備員に過ぎない自分が、冷酷非道の殺し屋を倒したのだ。
あのステファンの仇を討ってやれたのだ。
ジェフはその事実を誇りたい気持ちでいっぱいだった。
しかし、それに浸っている時間はなかった。
まずは、カール=フランクスを、上のエージェント達の元に送り届けるのが先だ。
増して、フランクスはこの寒さの中で、激しく体力を消耗している。
事態は一刻を争うのだ。
ジェフが、カールの肩を担いだその時だった。
――――――チュンッ
ジェフは、唐突に、脇腹に熱いものを感じた。
喉の奥から、強烈な熱をもった液体がこみ上げてきた。
(まさか………)
ジェフが何事かを思いついた瞬間、背中に、焼けた鉄棒を差し込まれたような激痛が次々に走った。
鮮血が舞う。
足に、力が入らない。
ジェフは、自重に負けて、そのままガクリと膝を着いた。
撃たれたのだ!
撃たれたのだ!
撃たれたのだ!
ジェフは、血を吐きながら、再び庭園を見下ろした。
足元の茂みで、チカチカと光が点滅するのが見えた。
銃光だ!
狙撃手は、一人ではなかったのだ!!
ジェフは、弾切れになった手の中のガヴァメントを恨めしげに見下ろすと、泣きそうな表情で階下に投げ棄てた。
黒い凶器は、鈍い音を立てて地面に落ちた。
何という事だろう。
自分は、度し難いミスを犯してしまった。
冷静に考えれば、敵が複数いるという事も、充分に考え得た事ではないか。
何故、功を焦って、弾を無駄に使うような真似をしてしまったのだろう。
そして、そのために、もう一人の狙撃手に、完全にこちらの位置を知られてしまった。
ジェフは、悔やんでも悔やみきれなかった。
先の達成感が嘘のように、ジェフは暗い絶望感を味わっていた。
―――――――いや。
まだ銃はある。
カール=フランクスの手にしていた、ベレッタだ。
9mm口径であるため、威力も飛距離もガヴァメントには劣るが、下の茂みの中ならば、充分に射程圏内だ。
ジェフは、カールのホルスターから失敬したベレッタをコッキングすると、手すりから身を乗り出した。
銃を、構える。
階下の茂みで、もう一度、銃光がチカチカと光った。
衝撃。
次の瞬間、ジェフの視界は、猛烈な勢いで闇に包まれた。
遠くで、どさりと何かが倒れた音がした。
ジェフは、自分の意識が急速に閉塞してゆくのを感じながら、深い眠りに落ちていった。
カール=フランクスは、朦朧とした意識で事の成り行きを見ていた。
ステファンと呼ばれた警備員が死んだ。
ジェフと呼ばれた中年の警備員も、応戦を試みたが、二人目の狙撃手の手にかかって死んだ。
ここに残っているのは自分一人だ。
つまりそれは、自力で、仲間の待つ六階まで昇ってゆかなければならないという事だ。
この半死人のような身体で。
カール=フランクスは、自分の腕を動かしてみた。
筋肉の反応が、鈍い。
寒さと火傷の痛みのせいで、皮膚の感覚はほとんど無かった。
カールは、這いずる様にしてジェフの死体に歩み寄った。
ジェフは、眼窩から、脳幹を突く様に撃ち抜かれて絶命していた。
カールは、その死相を目にして、表情を翳らせた。
(………最高のダイイング・メッセージだ、ジェフ。 お前の死は、無駄にはしない……。)
カール=フランクスは、その遺体の弾痕の角度を元に、おおよその敵の位置を割り出していた。
カール=フランクスは、《ディナ=シー》の中でも、あのキャサリン=シーカーと並ぶ、数少ない、戦場経験のある狙撃手である。
それも、攻性狙撃を得意とするキャサリンに対し、彼が専門としているのは逆狙撃だ。
直感型のキャサリンと違い、カールは正統派の理論派スナイパーなのだ。
だからこそ彼は、キャサリンのコードネーム・“S”と並ぶアルファベット、“R”の名を拝命している。
“色男”の名を持つそのドイツ人は、血に濡れたベレッタを、震える手で掴んだ。
握力が、ほとんど感じられない。
触感がもう麻痺しているのだ。
カールは、両方の掌を使って、かろうじて銃把を固定させた。
三人目はいない。
カールはそう確信していた。
銃弾の飛んでくる角度が、一人目のいなくなった途端から一定に変わったからだ。
仮にいたとしても、二人目と全く同じ位置にいるはずだ。
ベレッタの連射で、充分仕留められる――――――
カールは渾身の力を振り絞って手すりに飛び込んだ。
待っていたとばかりに、階下の茂みが光った。
銃弾がカールのこめかみをかすめる。
カールは、ベレッタを突き出した。
「地獄に堕ちやがれッッ!!」
パラララララララララ!!!!
そのイタリア製の拳銃は、激しい唸りを上げて、火を吹いた。
合計16発の9mmパラベラムが全て撃ち尽くされたのは、わずか3秒足らずの間の事だった。
―――――――――
それきり、下から銃光の上がる事は無かった。
敵を、仕留めたのだ。
カール=フランクスは、急激に膝から力が抜けてゆくのを感じた。
それは、激しい物理運動の代償であった。
この悪状況下での火事場の馬鹿力は、彼の肉体に大きな反動をもたらしたのだった。
カールは、手すりに体重を預け、何とか倒れるのを堪えた。
今倒れたら、きっと、もう起き上がる事は出来ないだろう。
そうなっては、自分の延命に、文字通り命を賭して努めてくれた二人の警備員に、申し訳が立たない。
(いや、四人か………。)
カールは、瞼の奥が、熱をもっている事に気がついた。
やがてその熱は、水滴となって目尻から滴り落ちる――――――
「畜生、畜生、畜生……………。」
カール=フランクスは、静かな声で嗚咽した。
しかし、悲しみに暮れている時間は無かった。
もう、敵はすぐそこまで来ているのだから―――――――
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