拳銃という道具は、完全な、殺人の為だけの道具である。

そのためだけに創られ、そしてそれ以外に用途は無い。

そこに汎用性は全く無く、創造され一世紀半を数える今日に於いても、一貫してその普遍性を貫いている。

野生動物を仕留めるだけの貫通力ストッピング・パワーは無く、威嚇用と云うにはあまりに強力過ぎる。

凶器たるべくして生まれた凶器。

そうとも。

どんなに万人が知恵を絞ろうとも、如何なる天才が身血を絞ろうとも、それ以外に使い道などありはしないのだ。

殺す為に創られたのだ。

殺す為に生み出されたのだ。

あのアルベルト=アインシュタインの発明した核と言う殺戮兵器と同じように。

―――――同志イアン。

君は拳銃になり給え。

我らモサドの拳銃に。

君はその為に創られたのだ。

その為に生み出されたのだ。

我らの仇敵たるアラビア人種の血をひく君がここで生きてゆくには、我らの拳銃となる以外に道は無い。

それも、猛毒の拳銃にだ。

殺すのだ、アラブ人共を。

殺すのだ、聖地エルサレムを侵さんとする畜生共を。

アラブで。 シリアで。 ヨルダンで。 レバノンで。 ソマリアで。

祖国を穢す者共を、一人残らず始末するのだ。

一人でも多く処刑するのだ。

奴らの屍山血河の道を築き上げ、その上を踏みしめて歩くがいい。

同志イアン。

君が害悪種を残らず滅ぼしたその日には、きっと君の呪われた血の穢れは祓われる。

私は固くそう信仰している。

 

 

 

サー・ハレルは、アメミット=イアンにそう言った。

サー・ハレルがそう言ったのである。

自分の血は穢れている。

自分の血は呪われている。

サー・ハレルは言ったのだ。

それを祓うには、仇敵共の血を浴びるしかないと。

それこそが、自分の赦される免罪符なのであると。

少年であったアメミット=イアンは、ハレルのその教えを強烈に信仰していた。

 

アメミット=イアンの母は、捕虜としてイスラエル側に捕らえられていたアラブ・ゲリラの女戦士であった。

彼女は、当時、聖地奪還という目的のために、テロ活動を繰り返していたPLO(パレスティナ解放機構)の某組織の一員だった。

女性である事が理由で、後方支援活動に従事していた彼女であったが、ある時、とうとうテロリストの一人として実戦に投入された。

1975年3月、テル・アビブ、ホテル襲撃事件。

死者25名、負傷者6名を出した、最悪のイスラム・テロ事件。

その事件の当事者の中に、彼女がいた。

テロに参加した八人の同胞は、全て自決したが、彼女は不幸にも生き残ってしまった。

生き残り、捕らえられた彼女を待っていたのは、パレスティナ・アラブ人にとって、処刑よりなお耐え難い屈辱であった。

イスラエル軍の獄卒達は、寄ってたかって彼女を強姦し、その子宮に無数のユダヤの種子を植え付けたのである。

類稀な美貌と身体を持っていた彼女を、獄卒達は、欲望のままに陵辱した。 玩具のように弄んだ。

そうする事で、アラブ人を征服するという、昏い快感に酔う事が出来るとでも言うように。

その結果、彼女の身籠ったのが、彼であった。

彼女は、その腹に宿った忌わしい因子を祓うため、幾度も自らの手で堕胎を試みたが、いずれも失敗に終わった。

そして、十ヵ月後、彼は生まれた。

獄中出産だった。

アラブの血を引く彼は、敵地であるイスラエルの只中でその生を受けたのである。

彼が生まれた時、アラブ・ゲリラの女戦士はひどく衰弱しており、出産時の激しい出血に耐えられなかった。

彼女は、失血で薄れ行く意識の中で、赤ん坊であった彼の姿を確認すると、ユダヤ人に対する激しい憎悪を込めてこう名付けた。

裁きの魔獣アメミット”と。

いつか、その子が自分を陵辱したユダヤ人達を滅ぼす怪物となるよう、彼女は我が子に、罪人の魂を喰らう、イスラム神話上の魔獣の名を与えたのである。

多くのイスラエル諜報機関は、少年を始末する事を推奨した。

アラブ人共は生まれついての害悪種なのだ。 生かしておけば、必ずいつか我々に害を為す猛毒となる。

そうなる前に間引きするのだ! 聖地の土壌にイスラム教徒の芽は必要ない!!

それが彼らの主張だった。

その主張に、ただ一人異議を唱えたのが、モサドのトップ・エージェントの一人である、イブラー=ハレルであった。

彼は、諜報部に対し、少年をアラブ・ゲリラに対する潜伏間諜スリーパーとして教育する事を提案した。

機関の性質を考えれば、一笑だに伏されてもおかしくはないその提案が飲まれた事の裏には、イブラー=ハレルの、機関に対する多大な貢献が考慮に入れられたであろう事は、想像に難くない。

そうして、母の呪念に反し、アメミット=イアンは同族殺しを宿命付けられる事となる。

彼にとって、イブラー=ハレルの教えは絶対であった。

あるいは、アメミットが信仰していたのは、ヤハウェではなく、ヤハウェを信仰しろと命じた、ハレルの教えそのものなのであったかも知れない。

朝晩、ヤハウェの教えを祈り、間諜としてのハレルの持つ技術の全てを学んでゆく――――――

それがアメミットの全てだった。

それだけがアメミットの全てであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gun Crazy

CASE-02 Black NightC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺す為に創られたのだ。

殺す為に生み出されたのだ。

それがアメミット=イアンの哲学であり、存在理由であり、本能であった。

より効率的に殺す為に。

より効果的に殺す為に。

ただそれだけ・・・・・・なのだ。

アメミット=イアンという人間の中に詰まっているのは、それだけ・・・・なのだ。

この中東人の『生』というエネルギーのベクトルは、全てがその一点にのみ向けられている。

それ以外のどういった享楽も感情も、彼は持ち合わせていない。

故に彼の破壊工作には、一点の迷いも曇りも無い。

頑迷なまでの、破壊工作に対する信念。

それこそが、彼の全てなのだ。

 

「…………そうだ。 そうだとも。」

中東人の殺し屋は、口の中で短く反芻した。

それは、全くの無意識の逡巡であった。

アメミット自身にも、何故、今それを思い出したのか理解できない。

何故今頃、あのイブラー=ハレルの事など思い出したのか……。

―――――それもどうでもいい事だ。

過去など意味は無い。

必要なのは“今”だけだ。

青臭い郷愁や明日の事などを考える馬鹿は、この戦場では生贄のカモシカとなるだけだ。

アメミットは、腰から、ゆっくりと山刀マチェッテを引き抜いた。

その刀身は、黒曜石か何かのように黒く彩色されている。

月明かりの反射を防ぐ為である。

アラブ人種は、幼少の頃よりナイフに触れる機会の多い為に、民族的にナイフの扱いに長けている。

そして、アラブ人に対する潜伏間諜スリーパーとして、その風俗をその身に叩き込まれたアメミットも、その例外ではなかった。

その、獲物を襲う毒蛇のように俊敏な動きは、敵が銃を構えるより速くその喉笛を掻っ切るだろう。

暗闇という状況下においては、ナイフは、銃よりも遥かに優れた武器となり得るのである。

 

ふと。

中東人は、廊下を歩く足を止めた。

後ろに追従していたジャックも、それに続いて足を止める。

アメミットの嗅覚が、何かを嗅ぎつけたのだった。

それは、気配と呼ぶにはあまりに希薄なものであったが、幾多の戦場を駆け抜けてきたアメミットは、敏感にそれを嗅ぎ分ける事が出来た。

何かが潜んでいる。

何かが自分達を待ち伏せている。

アメミットは親指と中指で輪を作り、人差し指を立ててジャックに示した。

それは、“待ち伏せ要警戒”を示すサインだった。

二人は、目の前の廊下に目をやった。

その両端に、延々と続く客室。

おそらく、あれの何処かで、敵が息を潜めて様子を窺っているのだ。

ジャックは、手にしたM-16突撃銃を全自動フルオートモードに切り替えた。

圧倒的火力による力押しの掃討作戦。

単純で原始的ではあるが、室内戦ではこれがもっとも有効なのだ。

ジャックは、手前の一室の扉の前に立った。

M-16を腰だめに抱える。

トリガーが引かれた。

タタタタタタタタタタンッッ!!!!!!!!!

破砕音。

弾丸が、扉を一気に破壊し、室内の意匠を完膚なきまでに陵辱し尽くす。

カーペットを剥げ取り、壁紙を蜂の巣に変え、窓ガラスを微塵に砕いて、廃墟に変える。

ジャックは、弾倉マガジンを交換すると、部屋の中に足を踏み入れ、隅から隅に至るまで一切の死角も許さぬ様にフルオート連射を繰り返した。

排莢口から、空薬莢が、噴水のように吐き出された。

クローゼットを破壊し、ユニットバスを一しきり破壊し終えると、ジャックはようやく満足したのか、部屋を出ようとした。

ジャックが部屋の鴨居をくぐろうとしたその時だった。

白黒混血ムラートのその青年が、頭上に凄まじい殺気を感じ取ったのは。

(ッッ!!!)

ジャックは反射的に目を上にやる。

そこで彼の視界に入ってきたのは、9mm口径の銃口であった。

鉛の弾の射出口が、すぐ鼻先にあったのである。

(――――――――)

ジャックは驚異的な瞬発力で、瞬間、背を後ろに仰け反らせた。

思考の介在する余地など無かった。

それは、ジャックという超一流の技量を持つ傭兵の、凄まじく貪欲な生存本能が為しえた術に違いなかった。

―――――――刹那。

9mm口径の銃が火を吹いた。

防弾チョッキの上から、9mmのフルメタル・ジャケット弾がジャックの浅黒い肌を叩く。

アラミド繊維の布を通して、鈍い痛みが浸透してきた。

「!! ぐぁぁッッ!!」

ジャックは、その激痛に耐えかね、悲鳴を上げて床に転がった。

ドンッ! ドンッッ!!

銃弾が、ジャックの転がった床の軌跡に次々と撃ち込まれる。

そして、四発目の弾丸が、とうとうジャックの脇腹を捕らえた。

肉を、抉ると同時に焼かれる感覚。

ジャックは、声にならない絶叫をあげて、カーペットの上に倒れ込んだ。

肩に掛けられたM-16が、その拍子に、床に取り落とされた。

「畜生が! 畜生が!」

ジャックは、腰を着いたまま、ホルスターからベレッタM92Fを抜くと、見えざる敵の方向に向けて構えた。

敵は、鴨居に潜んでいたのだ。

映画『レオン』のジャン=レノのように、鴨居と天井の間に潜んで、息を殺して待ち受けていたのだ。

ジャックは、裏を掻かれた事への怒りを溢れさせながら、ベレッタの撃鉄を起こした。

しかし、その次の瞬間、ジャックの顔面に凄まじい衝撃が走った。

打撃だ。

先ほどジャックを狙い撃ちにしたその敵が、彼の鼻頭を、サッカーボールのように蹴り上げたのだ。

その衝撃で、ベレッタが宙を舞う。

ニ撃。 三撃。 四撃。

敵は、何度も何度も執拗にジャックを蹴飛ばした。

体重の乗った蹴りだった。

喧嘩の蹴りではない。

相手を殺す事を前提とした、殺意に満ちた蹴りだ。

殺人術の蹴りだ。

ジャックの顔面は、鼻血で溢れかえり、ニューオーリンズのホット・ドッグのように真っ赤になっていた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」

ジャックは、本能的に頭部を防御するが、それでも打撃は止まらなかった。

空いた急所を目掛けて、容赦の無い蹴りが叩きつけられる。

肝臓。 すい臓。 脾臓。 鳩尾。 側頭。 金的。 大腿。

およそ人体に於ける、主要な急所を、敵は的確に突いて来た。

外傷以外のダメージが、ジャックの内部に蓄積してゆく。

異様な嘔吐感が、ゆっくりと喉の奥から昇ってきた。

――――――――――

不意に、攻撃が止んだ。

敵は、唐突に、俊敏な動作で、ジャックから距離を取った。

敵の後ろには、あのアメミット=イアンが、漆黒の山刀マチェッテを手にして立っていた。

まるで、本物の石像のように気配に色が無かった。

おそらく、アメミットが、何らかの攻撃を、この敵に向けて仕掛けようとしたのだ。

敵は、その、攻に転ずる一瞬の気配を察して、咄嗟にジャックから距離を取ったのだ。

そこで初めて、敵は月明かりを正面から浴びた。

月光の照らし出した敵の顔は、東洋人のものだった。

歳はまだ20代前半といったところだろうか。

その右瞼上から左の頬にかけて走った、痛々しい刀傷が、何とも特徴的だった。

その全身は、黒い衣類で統一されている。

その青年が、硝煙の霧の中で、銃を構えて立っていた。

「大した手際だ、朝鮮人ニダー。」

アメミットは、稚拙な発音の英語で言った。

「俺は中国人チャイニーズだ、クソ野郎が。」

その中国人は、拳銃を手にしたまま言った。

中国人は、山刀マチェッテを構えたアメミットに対し、一気に間合いを詰めて来た。

白兵戦を挑む心算らしい。

閉鎖区画に於ける暗視戦という条件下ならば、その選択は正解といえた。

室内近接戦闘クローズド・クォーター・バトルに於いて、あくまで銃の使用にこだわるのは賢い選択とは云えない。

中国人が、動いた。

中国人が初撃に選んだのは、掌底であった。

黒衣が闇に溶け、その打撃は全く視認出来なかったが、アメミットは予備動作から攻撃を先読みし、スウェイバックでかわす。

斬。

漆黒の山刀マチェッテが振るわれた。

中国人は、その刃の腹を叩いて軌道をずらし、第二撃を仕掛ける。

蹴りだ。

狙いは、肝臓。

アメミットは、膝でその軌道を遮ると、山刀マチェッテの柄を敵のこめかみに叩き付けた。

中国人のこめかみが裂ける。

アメミットは、空いた方の手で中国人の髪を掴むと、山刀マチェッテを握った手でその顔を殴りつけた。

みじり、という音がした。

血の飛沫が飛ぶ。

さらに追撃。 追撃。 追撃。

中国人の口の間から、血と共に、白いものがこぼれ落ちた。

歯の欠片だった。

その時だった。

中国人の両腕が、髪を掴んだ方のアメミットの腕を握った。

(―――――――――!!)

アメミットの腕に凄まじい激痛が走った。

握力に拠るものではなかった。

刃物などに拠る、熱にも似た、鋭い痛覚だった。

アメミットは、反射的に中国人の髪を離した。

腕からは、夥しい量の血が噴出していた。

暗器ヴァグ・ナグだ。

中国人は、アメミットの腕を握る掌の内側に、暗器ヴァグ・ナグの鋭い刃を握りこんでいたのだ。

アメミットが痛みに狼狽した次の瞬間、中国人の上段蹴りが、アメミットの側頭部を捉えた。

小気味良い衝撃音がした。

その一瞬、アメミットの意識が消失した。

中国人の逆の膝が、アメミットの意識を完全に断ち切ろうと、宙に浮いた。

首相撲からの、膝蹴りだ。

人を殺すのに足る威力を持った打撃技だ。

――――――――

しかし、その膝が捉えたのは、アメミットの頭部の感触ではなかった。

膝は空を切り、代わりに、中国人の、浮き上がった脛から腹までを、一直線に抱え込む感触があった。

タックルだ。

そいつ・・・は、中国人を押し倒しながら、金切り声を上げた。

先の痛みを克服したジャックが、中国人にタックルをしたのだった。

体格では、中国人よりも、ジャックの方に分がある。

タイミングさえ合えば、押し倒すのは造作も無い事だ。

そのまま、ジャックは、子供の喧嘩のように、中国人の上に馬乗りになった。

ジャックは、中国人の襟首を、両腕で掴んだ。

頚動脈を絞め落とす気だ。

中国人は、ジャックの股に腹を挟まれた状態から、彼の鼻先に掌底を食らわせた。

体重のまるで乗っていない打撃だ。

本来ならば、そんな打撃を何発食らおうが、深刻なダメージになる事はまずない。

本来ならば・・・・・

しかし、その一撃によってジャックの視界は完全に失われた。

中国人は、掌に暗器ヴァグナグを装着していたからだ。

鉤爪状になった暗器ヴァグナグの刃は、中国人の放った掌底によって、ジャックの眼窩に潜り込んだのである。

両の眼を真半分に割られたジャックは、眼窩から血を溢れさせながら、床の上を転げまわった。

中国人は、すぐさま立ち上がると、ジャックの取り落としたM-16ライフルを拾い上げ、ジャックに向けて一気にトリガーを引き絞った。

タタタタタタタタタンッッ!!!!!

有無を言わせぬフルオート連射。

弾丸の嵐が、無防備なジャックの股下から、その肉の中にもぐり込み、骨盤を粉砕する。

防弾ジャケットの庇護下になかったジャックの下半身は、わずか数秒で血塗れの肉塊へと変貌した。

ジャックの喉の奥から、ボーイ・ソプラノの悲鳴が上がった。

M-16の弾倉が尽きた。

トリガーが、カチカチと、空撃ちドライ・ファイアの音を鳴らす。

中国人が、弾倉を取り外した。

その時だった。

ジャックの上半身が、凄まじい速さで動いた。

中国人が、はっと目を凝らすと、ジャックの右の手が、先ほどカーペットの上を転がったベレッタに伸びていた。

そのまま、転がるようにして銃把を掴む。

恐ろしい男だった。

視力を失い、半身に致命傷を負いながら、まだ戦意を失ってはいない。

蛇のような執念だった。

中国人は、手を、M-16ライフルの銃把グリップから銃身バレルに持ち替えた。

そのまま、鉄の鈍器と変わったそれ・・を振り上げる。

ジャックが、ベレッタを中国人に向けた。

指はもうトリガーにかかっている。

ジャックの顔が、勝利を確信したように笑っていた。

中国人は、M-16のフォア・グリップを、そのジャックの頭目がけて一気に振り下ろした。

鈍い衝撃が、中国人の掌に伝わってきた。

額が、割れたのだ。

それでもまだジャックは笑っていた。

まだ、銃を下げなかった。

額から、両目から、鼻腔から、口から。

顔中にケチャップをぶちまけたような姿になりながらも、まだジャックは戦意を失っていなかった。

おそらく、この男は、たとえ四肢をもいだとしても反撃して来るのではないか。

この男の戦意を断つには、おそらく命を断ち切る以外にない。

―――――――――――

ベレッタが火を吹いたのと、M-16のフォア・グリップがジャックの頭蓋骨を陥没させたのは、ほぼ同時だった。

ただ一つ差があるとすれば、それはジャックが視力を失っていた為に、狙いを誤ったという事だけだった。

ジャックは、栗色の髪を朱に染め上げると、糸が切れたように仰向けに倒れこんだ。

白黒混血ムラートの傭兵は、ビクビクと数回痙攣すると、そのまま動かなくなった。

絶命したのだ。

中国人は、額に浮いた汗を拭うと、その銃を、アメミットの方に向け直す。

しかし――――――――

(!!?)

その視線の先に、あの中東人はいなかった。

中国人は、慌てて四方に銃口を泳がせる。

しかし、中東人の姿はどこにも無かった。

アメミットの姿が、完全に部屋の中から消失していたのだ。

「そんな馬鹿な事が――――――――」

中国人は、口に出してから、思い直した。

そうだ。 あり得ない事ではない。

実際、さっき、あの中東人は自分に何の気配も感じさせずに、自分の背後に立った。

攻撃に移る前の、一瞬の殺気を感じ取る事が出来なかったら、自分は今頃あの漆黒の山刀マチェッテによって、頭蓋骨を真っ二つにされていたのに違いない。

逆に言えば、気配を全く自分に感じさせずに、この場から逃走するという事も可能なのではないか。

恐るべき技量の使い手だ。

闇というものの有り様を完全に理解し、しかもそれを最大限利用する術を知っている。

全てを巻き込み、全てを破壊する、あのニコラシカ=ターレスとは、まるで逆のタイプの職業的暗殺者―――――――――

静寂の闇の中で、己という者を全く無にして標的に接近し、始末する。

そして、それこそが最も対抗しにくい戦い方なのだ。

何てこったジーザス………。 マジに透明人間チェビー・チェイスが来やがった……! 冗談じゃねぇぞ、畜生ファッカー!!」

中国人―――――劉黒龍は、血塗れのM-16ライフルを投げ捨てながら、そう吐き捨てた。

肌が、ぷつぷつと粟立っている。

それは、夜の寒さのためではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメミット=イアンは、ホテルの客室の一室に身を潜めていた。

宿泊客はいなかった。

アメミットは、防弾ジャケットの袖をめくると、真新しい五条の裂傷に目をやった。

暗器ヴァグ・ナグによって付けられたものだ。

東洋にはこういった武器を使う暗殺者もいるという話を、知識としては知っていたが、実際にその使い手と対峙するのは初めてだった。

しかも、それによって、多少なりとも手傷を負わされたのだ。

屈辱だった。

不意打ちとは云え、敵に遅れをとった事がだ。

もし、ここが戦場であったなら、自分は間違いなく、命がなかったであろう。

この屈辱を晴らすには、あの中国人の肉を、この漆黒の山刀マチェッテで、羊のように解体する以外にない。

自分は、殺す為に創られたのだ。

自分は、殺す為に生み出されたのだ。

だから、殺す。

あの中国人は必ず殺す。

家畜のように屠殺してやる。

あの中国人に、自分が何故“猛毒の竜アジ・ザイリタ”と呼ばれるのか、その理由を、命を対価に教えてやらねばならぬ―――――――

アメミットは思考しながら、ワセリンを傷口に塗りこんだ。

きりりとした痛みがあったが、意に介さなかった。

暗器ヴァグ・ナグの傷は思ったよりも深かった。

腱こそ傷つけていないものの、裂傷の内の一つが、動脈にまで達してしまっている。

放って置けば、かなりの出血を強いられるだろう。

そして、失血はすぐさま体力の低下に繋がるのだ。

アメミットは、ワセリンで出血を抑えると、石膏を塗りこんで傷口を塞いだ。

その上から軽くテーピングをし、傷口を完全に塞ぐ。

これで、しばらくは問題なく任務に従事できるはずだ。

まずは、任務を遂行することが先決だ。

あの中国人を殺すのは、その後でいい。

そして、その時には、地の果てまでも追い詰めて、必ず始末する。

自分にはそれが出来る。

アメミットの表情が、また元の、石像のように感情のないものに戻った。

 

 

 

Back  Next

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送