敵の奇襲は、 綿密な計画の上に仕組まれたものだった。
相手は重火器を所持しており、確実に軍役経験を持つ。
規模は不明。
ホテルの中央管制室は敵によって既に占拠されており、セキュリティ・システムは停止させられている。
絶望的な事に、敵はこの施設の内部構造について熟知している。
そして、それはおそらくヴァレンティーノ・ファミリーの仕業ではない。
それが、カール=フランクスのもたらした情報だった。
致命傷を負い、もはや自らが戦力となる事は無いと悟ったカールは、せめて、命ある限り、自分の持ち得る情報を伝えようと努めた。
しかし、それが結果的に、有能な四人の男達に、徒に命を棄てさせる破目に陥らせたのだ。
カールはそれを、ひどく悔いていた。
しかし、アイリス=マクドゥガルは、決してそれを無駄な犠牲とは思わなかった。
戦いの趨勢を決める要因に於いて、『情報』というファクターの占める比率は、常人の考えるそれよりも遥かに大きい。
時にそれは、一塊の金塊より、純粋な金剛石の結晶より価値のあるものとなる。
彼我戦力差の分析。 戦況情勢。
それらは、百の銃口にも匹敵する、値千金の武器となる。
アイリス=マクドゥガルは、無言でソファーから立ち上がった。
間宮圭も、それに次いで、立ち上がる。
「オーケイ。 充分だ、カール……それだけ聞けば、充分過ぎる。」
アイリスは、自動拳銃を取り出すと、ゆっくりと遊底を引いた。
無機質な、コッキングの音が響く。
アイリスは、何も言わず、その銃口にサイレンサーを取りつけた。
カール=フランクスは、虚ろな眼で彼女の方を見やった。
すでに、その表情に、生気は乏しい。
だが、彼女がこれから何をしようとしているのかは、辛うじて理解できたようだった。
「……………済まない……。」
「残念だよ、カール=フランクス。 戦隊長として、私が貴方にしてあげられる事は、もう、この位しかない……。」
彼女は哀しそうに―――――本当に哀しそうに、彼にそう告げた。
銃の照準を、カール=フランクスの額にポイントする。
カールは、反射的に眼を閉じたが、すぐにもう一度、瞼を開き直した。
まるで、この世で最後となる光景を、その網膜に焼き付けておこうとするかのように。
「《妖精騎士団》作戦部・特殊遊撃班、第18の騎士“R”、カール=フランクス。 最期に、何か言い残す事は?」
アイリスは、ひどく事務的に介錯の言葉を述べた。
儀礼的に振舞う事によって、己の感情を、行為から切り離そうとしているようだった。
沈黙。
それは、長いようでもあり、短いようでもあった。
やがて、彼の血の気の引いた唇から、最期の言葉が紡がれた。
「………故郷の……妹に……伝えて欲しい………『強く生きろ。』と……。」
アイリスは、黙って彼の目を見つめた。
「家族に……伝えて…欲しい………『俺はベストを…尽くした。』と……。」
アイリスは、自分の目が、熱を持ち始めているのに気が付いた。
「キャサリン…シーカーに……伝えて欲しい………『決着はあの世に持ち越しだ。』と……。」
アイリスの瞳の中で、カール=フランクスの姿が、ぐにゃりと歪んだ。
「最期に………君に…伝えておきたい言葉がある……アイリス=マクドゥガル……。」
カールの唇が、静かに微笑んだ。
アイリスは、目元を拭って、次の言葉を待った。
「『ありがとう、アイリス=マクドゥガル……。 俺は、きっと………君の事が…好きだった。 君の…行く先に………幸運と…実りが………ありますように……。』」
カールは、震える右手で十字を切ろうとした。
しかし、彼の手には、それだけの事をする力すら、残ってはいなかった。
「傭兵の挽歌のパロディだ……笑えるだろ………? これで……終わりだ、マクドゥガル。 我らが戦隊長。」
アイリス=マクドゥガルは、微笑もうとした。
しかし、出来なかった。
笑いたいのに、頬が硬直してしまったかのように動かなかった。
笑いたいのに。
笑って送ってやりたいのに。
でも、それは出来なかった。
何度笑おうとしても、それは叶わなかった。
「同志、カール=フランクス。 貴方の魂が、ヴァルハラに召されますように。」
カール=フランクスは瞼を閉じた。
「幸運を。」
アイリスは、万感の想いを込めて、その言葉を呟いた。
―――――――――乾いた、銃声。
カール=フランクスは、安らかに眠っているように見えた。
Gun Crazy
CASE-02 Black NightD
空薬莢の雨が降った。
ホテルの廊下は、銃声と閃光、そして硝煙の風に、完全に支配されていた。
Vz61スコーピオン短機関銃――――――旧チェコ・スロヴァキア生まれの黒い怪物が、狂ったように咆哮を上げ、弾丸と薬莢を吐き出す。
棗春彦は、掌の中で、その怪物の動くのに任せていた。
―――――スコーピオン、お前はどうしたいんだ?
ええ、どうしたいんだ?
殺したいのか?
奴らの悲鳴を聞きたいのか?
奴らの肉に喰いつきたいのか?
奴らに脳漿をブチ撒けさせたいのか?
オーケイ。 その願い、叶えてやろうじゃないか。
俺はお前の御者だ。
お前のしたいようにさせてやる。
さぁ、敵を喰い尽くせ、スコーピオン。
ここがお前の狩場だ。
パララララララララララララ!!!!
春彦は、床の上に飛び込みながら、スコーピオン短機関銃をフルオート掃射した。
敵が、悲鳴を上げて次々に倒れる。
この至近距離から、貫通力に優れるサブマシンガンを撃ち込まれては、防弾チョッキなど、ナイロンのセーターと変わりない。
銃弾が飛び交う。
レイン=フェルモンドは、物陰に隠れて、その戦いを見ていた。
――――――狂人だ。
レインは、そう思った。
あの棗春彦の事だ。
イカれてる。
いくら短機関銃を持っているとはいえ、防弾装備も何も無く、銃弾の雨の中に飛び込むなんて、クレイジー以外の何者でもない。
コイツは、どこかがぶっ壊れてるんだ。
「おおおおおおおおォォオオォオォオオオオ!!!!!」
春彦が、叫んでいた。
しかし、それは、銃声にかき消され、ただの風音のように虚しく響き続けた。
春彦は、転がりながら、銃撃を続ける。
床を穿つ銃弾が、カーペットを剥ぎ取り、その下にあるリノリウムの床を露わにする。
敵は、あと二人程度だ。
閃光が、敵の顔を照らし出す。
その顔は、憎しみと狼狽に歪んでいた。
春彦は、ゆっくりと歯を見せて笑った。
獰猛な笑みだった。
お前らは、何をそんなに恐れているんだ?
俺か?
俺を恐れているのか?
こっちはたった一人なのに?
それとも、俺が、仲間をたくさん殺したからビビってるのかい?
それとも、俺が全然傷つかないから臆してるのか?
そいつはお前らのせいだ。
お前らの腕がへぼいからさ。
弾道が、見え見えなんだ。
タネの見えた安っぽい手品を披露されている様な気分なんだ。
ワカるか?
弾道が、見え見えなんだよ。
こいつは、鴨撃ちでもなきゃあ、模擬射撃でもねぇ。
現実の戦場なんだ。
そんな安っぽい偽攻に引っかかってくれる奴は居ないぜ。
勝負事に、熱くなっちゃあいけない。
いいか?
勝負に勝つのは、いつだって冷静に事の流れを見てた奴さ。
一度や二度の実戦経験で増長してるようじゃ、まだまだド素人って事なんだよ、クソ野郎共!!
春彦は、スコーピオンと逆の手でシグ=ザウエルを取り出すと、流れる仕種で腕を交差させた。
曲射ちだ。
パン! パン!
夥しい銃弾の中に紛れて放たれたその二撃は、敵の眉間を正確に貫いた。
二人は、あっさりとその場に崩れ落ちる。
銃撃が、止んだ。
硝煙の霧の治まるのを待って、春彦は立ち上がった。
あれだけの銃撃戦を繰り広げておきながら、彼はひどく涼しげな顔をしていた。
汗一つ、掻いてはいない。
レインは、薄気味悪いものでも見るような眼で、春彦を見た。
春彦は、その視線に気が付いたが、気にする事無く、襟に付いた硝煙を払う。
「………怪我はないか?」
春彦は尋ねた。
「平気よ。 それより、貴方の方は……?」
「無事だ。 もっとも、運はこれで使い果たしたかも知れないがな。」
冗談ともつかず、春彦は言った。
レインは、改めて春彦の姿を眺め直した。
傷一つ、無い。
汗すら掻いていない。
あんなにも激しい戦いの後なのに。
同じ人間の所業とは思えなかった。
アクション映画の俳優だって、銃撃戦の後はひどく憔悴してるというのに、彼は本物の銃撃戦の後で、機械の様に平然としている。
もしかしたら、彼はサイボーグなのではないかと云う疑念さえ浮かんできた。
………馬鹿な考えだ。
レイン=フェルモンドは、すぐにその考えを否定した。
しかし、彼に対する、得体の知れない不信感は、どうしても拭いきれなかった。
それは、自分の理解を逸脱したモノへの、不信だ。
逸脱。
そうだ、彼は“逸脱”していた。
レインという人間の理解の範疇を、遥かに逸脱していた。
《ディナ=シー》という、荒唐無稽な規模と理念を掲げる組織の存在。
そして、そこに籍を置く、常軌を逸した技量を有す、超人的な人材達。
どこから、どこまでが本当なのか。
全てが本当なのか。
全てが虚構なのか。
いや、それ以前に、全ては現実なのか。
本当は、自分は夢を見ているんじゃないだろうか。
あいつの―――――幼馴染のクラウスの変死体を見た時、自分は気が触れたのではないだろうか。
現実を受け止めきれず、自分の意識を虚構の世界へと追いやったのではないだろうか。
レインは、試しに自分の頬をつねってみた。
―――――――痛い。
しかし、それは、これが現実であるという事の証になるのか。
ああ、自分は今、この世界を否定しようとしている。
何故、こんなにも不安なんだろう。
何故、こんなにも怖いんだろう。
目の前にいる人は、こんなにも強いのに。
目の前にいる人は、こんなにも命がけで守ってくれるのに。
………………………………
――――――――――――――――――どうして?
ふと、根本的な疑念が沸き上がってきた。
何故、彼は、自分を守ってくれるのか。
マージ・ノーラのMOは、すでに彼らの手元にあるのに。
はっきり言って、自分は彼の足手まとい以外の何者でもない。
なのに、何故彼は自分を守ってくれる?
―――――――――――――――
ああ。 そうか。
ようやく、彼への不信感の原因がワカった。
何故なら。
彼はまだ味方かどうかワカらない。
アダム=モリスンは、暗闇の中、フィラデルフィアへと続くフリーウェイの上を運転していた。
彼は、今年で30になる、イタリア系のアメリカ人だった。
家族は、いない。
妻帯する事も、子を持つことも、もう、あきらめている。
この、“デウス”という組織に、足を踏み入れた時から。
この世界の人間は、家族など持ってはいけないのだ。
持てば、それは、組織に対して、致命的な弱点を作ることになる。
独りなら、いい。
独りならば、ヘマをやらかしても、死ぬのは自分一人で済む。
その事に気が付いたのは、失態を犯した組織の元・同僚が、家族親族諸共、生きたまま焼却炉の中で焼かれるのを見た時からだった。
あの時の、人間の焼ける不快な匂いを、モリスンは一生忘れない。
その時、モリスンは、生涯、独りで生きてゆく覚悟を固めたのだ。
そうして、今では“デウス”の下で、運び屋をやっている。
“デウス”という組織について、彼の知っている事はひどく少ない。
すでに彼は、組織の構成員となって十余年経つが、いまだに組織の全貌が見えずにいる。
ただのマフィア組織ではない。
マフィア組織と云うのには、この組織は、余りにもグローバル過ぎる。
麻薬も扱う。 武器も扱う。 人身売買は勿論、密入国の斡旋、テロルの支援、破壊工作員の育成、何でもやる。
ただ、その活動の指向性が、まるで見えない。
本来、確固としてあるべき足る、組織の理念が、曖昧に過ぎるのだ。
――――――――
後部座席から、嬌声があがった。
女の、喘ぐ声だった。
また始まった、と、モリスンは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
バックミラーに目をやる。
そこには、髪を黒く染めた、スラヴ人種の男の顔が見えた。
モリスンの上司――――――――“ビーナ”というコードネームを持つロシア人だ。
歳は、30代半ばのように見える。
五年程前に、モリスンは彼の下に配属されてきたが、それ以来、彼は全く歳を取っていないように見える。
彼の専門は、麻薬運輸と人身売買だった。
彼は、恐ろしく語学力に優れており、二十を雄に超える言語を、自在に操る事が出来た。
その才を生かし、彼は、コロンビアの麻薬カルテルと流通を持っていた。
それによって、彼は組織に対し、莫大な利益をもたらしているのである。
モリスンの知る限り、彼は“デウス”の、最も中枢に近い人間だった。
だが、同時に彼は、変態的な嗜好の持ち主である事も、モリスンは良く心得ている。
彼は今、後部座席で、その行為に興じている真っ最中だった。
モリスンは、その行為の始まる度に、反吐の出る様な思いに駆られる。
「どうしたんだ、ノエル? まだ穴は一つ目だぞ。」
“ビーナ”は、螺旋状の錐を、女性の腕から引き抜きながら、言った。
螺旋状の錐の刃には、血と、ピンク色の肉片がこびり付いていた。
それを確認すると、ロシア人の顔が、愉悦に歪んだ。
その膝の上に、若いヒスパニック系の女性が座っていた。
一目で混血とワカる、褐色肌の女性だ。
胸にも臀部にも、たっぷりと脂肪が乗っている、男好きのする肉体だった。
顔立ちも悪くない。
その女性が、一糸まとわぬ姿で、“ビーナ”に絡み付いていた。
しかし、彼女は、彼の愛人ではなかった。
彼の、玩具だ。
“ビーナ”は、人身売買ルートを通じて、無国籍の少年少女の身柄を大量に確保し、自分好みの人間に造り上げる趣味に興じていた事があった。
その内の一人が、この女性―――――ノエルだった。
彼女は英語が話せない。
それどころか、ヒスパニック達の公用語である、スペイン語さえ満足に話せなかった。
“ビーナ”は、彼女に、教育など望んではいない。
何故なら、彼は、彼女を『壊すための玩具』として造ったからだ。
ピンバイスが、ノエルの乳房にもぐり始めた。
その脂肪の弾力の限界までもぐり込むと、その螺旋状の刃が肉をえぐり始める。
ノエルが、苦悶の声をあげた。
ピンバイスが回される度に、彼女は嬌声をあげる。
しかし、それは、多分に官能を含んだ嬌声だった。
そうなるように、“ビーナ”が仕込んだのだ。
このロシア人は、薬と暗示で、彼女を、完全な被虐嗜好者に仕立て上げた。
どんなに痛めつけても、嬉々としてそれを受け入れる、壊れた人形に。
初めてノエルを引き合わせた時、“ビーナ”はさも楽しげに、モリスンに彼女が出来上がるまでの過程を語って見せたものだった。
あの時ほど、このロシア人が饒舌に物事を話した事は無い。
おそらく、あれこそが、この“ビーナ”の本当の姿なのだと、モリスンは確信している。
語学力に優れた麻薬周旋人の姿など、作り物に過ぎない。
加虐嗜好の人形愛好者。
それがコイツの本性だ。
後部座席で、徐々に、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声が大きくなっていった。
ロシア人は、ナメクジのごとき陰湿さで、ゆっくりゆっくりとピンバイスを奥に捻り込んでゆく。
やがて、その刃が根元まで乳房の中にもぐり込むと、一気にそれを引き抜いた。
一際大きな悲鳴が上がる。
モリスンは、あまりの痛々しさに、反射的にルームミラーから目を離した。
狂ってやがる。
あのサディストのロシア人も。 いたぶられながらよがり狂ってるあの女も。
「ノエル。 ノエル。 私の可愛いノエル。 まだこの位で気をやってはダメだよ。 本番はこれからなんだから。」
ミラーに写る“ビーナ”の顔が、不気味な笑みを浮かべていた。
わずかな間の後、座席の後ろから凄まじい悲鳴が上がった。
モリスンは、もうルームミラーの中を覗き込もうとはしなかった。
見たいとも思わない。
強烈な嘔吐感と、そして奇妙な性的興奮が、モリスンの中に沸き上がってきた。
ピピピッ
不意に、電子音が鳴り響いた。
携帯電話の、着信音だ。
モリスンのものではなかった。
“ビーナ”のものだ。
“ビーナ”は、お楽しみを中断すると、すぐに携帯電話の端末に接続した。
ディスプレイの中を覗き込んだ後、“ビーナ”は、頬まで裂けた様な、奇妙な笑みを見せた。
この男の、笑う時の癖だった。
ふと時計に目をやると、時刻はもう午前三時を回っていた。
「モリスン。 次のサーヴィス・エリアで、一旦停車してくれ。」
“ビーナ”がそう指示した。
「“ドゥナ=ウェイ”の指示だ。 今はまだ乗り込むには早い。 鼠が燻り出されるのを待つんだ。」
“ドゥナ=ウェイ”。
モリスンは、そのコードネームを持つ男の顔を思い浮かべようとした。
が、出来なかった。
そもそも、そいつが男なのか女なのかさえ、モリスンにはワカらなかった。
面識は、ある。
それも、一度や二度ではない。
しかし、彼の容姿は全くワカらない。
“ドゥナ=ウェイ”は、会う度に、国籍も、人種も、年齢も、性別も、まるで異なっていた。
ある時は初老の白人であり、ある時は東洋の美女であり、ある時は白黒混血の少年であった。
果たして、それが同一人物に対する呼称なのかどうかさえ、今では疑わしい。
ただ、一つはっきりと言える事は、彼は凄まじい腕前を持つ間諜だという事だ。
たとえそれが事態の只中であろうとも、彼は、こうしてリアルタイムで情報を送ってくる。
彼は、蛭のように、獲物に取り付き、血液の代わりに情報を吸い続けるのだ。
「どうやら、先発隊は中央管制室の占拠に成功したようです。 これにより、セキュリティ・システムはストップ。 エレベーター等の使用や、サーチ・ライトによる救援信号の発信は不可能になりました。 まず、第一段階は成功と言ったところでしょうか。」
“ビーナ”は、ノエルの乳房をこね回しながら、言った。
褐色の肌が、血にまみれていた。
「しかし、どうも我々は、事の万全を期すあまり、少々心血を注ぎ込み過ぎたのかもしれませんね。」
モリスンは、その言葉の意味が判らなかった。
“ビーナ”は、フロントガラス越しにその表情を確認すると、嬉しそうに笑った。
「ヤツ等が我々の存在に気が付きました。 どうやら、敵の練度がギャング風情のモノではないという事から察したようです。」
悲鳴が上がった。
見ると、ノエルの左手の小指が、あらぬ方向に曲がっていた。
“ビーナ”が、へし折ったのだ。
コイツは、真性のサディストだ。
正気の沙汰じゃない。
狂ってる。
「ふふふ、大丈夫。 まだまだ彼らは私を楽しませてくれるはずです。 イアンやフィルス程度に安々と殺されるようでは、興醒めです。 暗殺請負会社ももう動き始めているはずだし、あのアシュリー=シュマイカーも、決してあのまま引き下がりはしないでしょう。 ヴァレンティーノの奴はどう動くのか? 対抗馬はこの事態に対し、どう出るのか? ああ、興味に堪えない! 全ては私の掌の上で踊っている!!」
ロシア人は、ノエルを弄びながら、病的な笑いをあげ続けた。
モリスンは、その声を聞き入れぬよう、目の前の運転に集中し続けた。
聞き入れれば、彼の中に巣食う狂気の世界に触れるような気がしたから。
狂ってる。 何もかも。
「ようこそ、紳士淑女諸君。」
その声は、薄暗い廊下の中、冗談のように、朗らかに通った。
棗春彦と、レイン=フェルモンドは、とっさにそちらを振り返って、銃を構える。
目を疑った。
その男は、先の男達ように、武装で身を固めてはいなかった。
紺色のアルマーニのスーツに、ピンクと白のストライプの柄が入ったネクタイ。
その顔立ちは、ひどく端正で、荒事などとはまるで無縁に見えた。
優しい――――――ひどく優しい、引き込まれるような笑みは、男色家ならば垂涎して欲しがると確信させる程、繊細で中性的だった。
だがしかし…………その右手に掲げられた物は。
春彦のものと同じ、シグ=ザウエルP226だった。
何だ?
何故、こいつがそんな物を持っているんだ?
春彦は自問した。
答えは判りきっているはずなのに。
「グッド・イーヴニング、坊ちゃん、嬢ちゃん。 私は道化師役の、ロナルド=フィルスと申しまァァ―――す。 当サーカスの出し物は、手前ら“ディナ=シー”さん達の虐殺ショォォオォ〜〜〜〜ッッ。 愉快に楽しく、陽気にブッ殺しまくりましょぉぉおお〜〜〜〜〜〜ッッ。」
男―――――――ロナルド=フィルスは、異様なテンションで言った。
常軌を逸した精神の持ち主である事は、その言動からも明らかだ。
だが、しかし、何故、彼の微笑みはこんなにも優しいのか。
何故、こんなにも引き込まれるのか。
――――――春彦は、余計な事を考えるのを止めた。
スコーピオンの照準を構える。
引き金を引いた。
「!!」
だが、しかし、弾は出なかった。
代わりに、ガチリという空射ちの音が、虚しく響き渡る。
―――――――弾切れだ。
「本日の弾は品切れ中ですかぁ? 残念ェェ〜〜〜ん。 じゃあ、まぁ、とりあえず、死ねよ。」
ロナルドは、ザウエルを、地面と水平に構えた。
引き金が、引かれた。
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