廊下には死体の山が築かれていた。

死屍累々とした、屍の絨毯。

その中を、キャサリン=シーカーは歩いていた。

死体は、いずれもホテルの従業員と警備員のものだった。

しかし、その殺害の模様が尋常ではない。

どの死体も、まるで鉈で叩き切ったかのような、大振りの裂傷で惨死しているのである。

中には、骨ごと叩き切られているものもあった。

まるで、山刀マチェッテか、牛切り包丁バフヘッドで斬り付けたかのようだ。

人間業ではない。

「誰がこんな事を………。」

キャサリン=シーカーは、呟いた。

従業員達はともかく、ホテルの警備員―――――つまり、ディナ=シーの職員達は、拳銃で武装していた。

それが、一人残らず、刃物によって殺されているとなると、敵は無音暗殺術の使い手であると考えるより他無い。

(…………同業者の仕業ね……。)

キャサリン=シーカーは、吐き気のこみ上げてくる感覚を覚えた。

………変わらない、傭兵時代から。

この、むせ返る様な血の匂い。

ツンと鼻につく、死臭。

何度味わっても、この感覚には慣れない。

ただ、耐えられる様になっただけだ。

気分の悪い事に変わりはない。

キャサリンは、周囲を警戒しながら、慎重に歩を進めた。

人の気配は、無い。

どうやら、生存者の回収という彼女の仕事は、徒労に終わりそうだった。

敵の目的が、『制圧』では無く、『殲滅』である事は、この惨状からも明らかだった。

キャサリンは、携帯電話を取り出した。

アイリスの番号を選択し、ボタンをプッシュする。

しかし、回線は繋がらなかった。

ただ、ジジッ、と妙なノイズが走るのみである。

電波妨害ジャミング……。」

キャサリンは、歯を噛んで宙を睨んだ。

通信手段は、断たれている。

ならば、本部に連絡を入れる為にはまず、ここを脱出する事をしなければならない。

さしあたってする事は、アイリスのチームとの合流だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gun Crazy

CASE-02 Black NightE

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春彦の身体が跳ねた。

鈍い衝撃と共に、その細身の肉体が、後方に飛ばされる。

赤い飛沫が宙を舞っていた。

それが何を意味するのか、ワカらぬ程、レインも愚鈍ではない。

春彦は、絨毯張りの廊下に、滑るようにして倒れこんだ。

「ぐぅっ!」

春彦が悲鳴をあげた。

どうやら、死んではいないようだった。

廊下の反対側で、ロナルド=フィルスは、銃を構えたまま、不思議そうに首をかしげていた。

「あっれぇ〜〜? 眉間ブチ抜いた筈だったのになぁ〜〜〜?」

春彦が被弾したのは左肩だった。

発砲の瞬間、咄嗟に身体をひねって急所への直撃を免れたのだった。

しかし、直撃を免れたとはいえ、被弾の衝撃を殺しきった訳ではない。

ヘヴィ級ボクサーのストレートをくらった位のダメージは確実に負っている筈だった。

「はっ、やっぱり人間相手の射撃は模擬クレー射撃とは違うなぁ? 競技射撃だったら今ので脳幹を抉られてるとこだぜぇ?」

「――――!」

――――――瞬間、レイン=フェルモンドの手にコルト・ガヴァメントP1445が構えられた。

間抜けな寝間着姿に、その無骨な黒い凶器が妙にアンバランスに見えた。

ロナルド=フィルスは、すかさず銃口をそちらに向けて牽制する。

トリガーを1mm握り込めば、お互いが発砲する―――――――

空間に霜が張り、時間が凍りついた様だった。

しかし、その氷結は唐突に砕け散る。

先に動いたのはロナルドだった。

セオリー通りの二連射ちダブル・タップ

それは寸分違わず、レインのガヴァメントを宙に弾いた。

ロナルドはそこで再び銃を構えなおし、嬲るような視線を二人に這わせた。

「最後に何か言い残す事はあるかい、お嬢ちゃん・・・・・

「…………貴方の顔、どこかで見た事があるわ。」

レインが、ぼそりと呟く。

その言葉に、ロナルドの軽薄な薄笑いの浮かんだ顔に一瞬、険が混じった様に見えた。

「……へぇ〜? 俺を見た事が? そいつはブロードウェイの舞台じゃないのかい? 『ニーベルゲンの指環』のジークフリードじゃあ?」

「元・模擬クレー射撃オリンピック米国代表候補、マイケル=マイルズ。」

「…………ッッ」

「確か、覚醒剤の常用が発覚し、米国代表選考から外された……それほど大きなニュースにはならなかったけど、事件の調書に関わったから印象に残ってた。 何故、元オリンピック代表候補がマフィアに?」

ロナルドの表情が、幾何的な変容を遂げた。

「はっ」

先ほどの軽薄な笑いでなく、左右非対称の歪んだ笑みだった。

「はははっ」

口の端々が、裂ける様に拡がっていく。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

狂気に満ちた哄笑。嘲笑。

「ひゃははぁ、世の中狭いもんだよなぁ! 何故オリンピック候補がマフィアに、だって!? お前はマフィア絡みの事件に関わった事はないのか!? 俺達はギャングじゃあない! 俺達は何処にでもいる! 何処にでも潜んでいる! 何故オリンピック候補がマフィアに、だって!? 決まっている! オリーブの冠よりも、マリファナの冠が欲しくなったからさ! オリーブの冠は一握りの差別的な力を持った人間にしか与えられない! だが、マリファナの冠は全ての人間に平等だからな!」

ロナルドの感情は、まるで煮えたぎる汚汁のようだった。

言葉の節々に、救い難い独善性が垣間見える。

その煮詰まるような感情とは対照的に、レインは自分の中の空気が急速に冷めてゆくのを感じていた。

「マリファナの冠が………平等だと言うの? 人を破滅に追い込むマージ・ノーラが?」

「破滅はみんなに平等だ。 金持ちも貧乏人も差別しない。 唯一の完全信仰だよ。」

「貴方は何も判っていない。」

「何だって?」

「貴方がオリーブの冠を手にするのを諦めて、マリファナの冠を手にしようとしたのは、そんな理由じゃない・・・・・・・・・。 人が破滅に安寧を求めるのは、真摯である事から……戦う事から逃げようとしてるから。 貴方は戦わなかった。 戦おうとしなかった。 戦えば、自分が取るに足らない人間である事を認めなければならない。 貴方はそれが怖かった。」

「何を言ってる、お前は? もういい、黙れよ。」

「金持ちも貧乏人も差別しないですって? 貴方が本当に認めたくないのは、勝者と敗者の差別でしょう? 貴方はそれをうやむやにしたかった。 チェスで詰みの決まった子供がボードをひっくり返すように、ノーコンテストにしたかった。 貴方は言った。 オリーブの冠を与えられるのは、差別的な力を持った人間だけだって。 でも貴方は知ってるはずなのに。 差別的な力を得るにはどれだけ真摯に努力し続ける事が必要か。 差別的な力を持とうとしてきた貴方ならわかる筈なのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「黙れと言ってるんだ、黙れよ。 黙れ……!」

「破滅が平等ですって? マイケル=マイルズ、貴方はただ」

「黙れと言ってるんだ!!」

「人が破滅に追い込むのを見る事で、自分が敗者だと認めたくないだけ。」

「黙れッッ!!!!」

ロナルドは激昂した。

しかし、ザウエルの引き金が引かれる瞬間、何かが凄まじい勢いでロナルドのこめかみに投げつけられた。

衝撃で、ロナルドは、狙いを誤る。

それは、スコーピオン短機関銃だった。

春彦が、うずくまった姿勢のまま、弾薬の尽きたスコーピオンの銃身を、投擲用の武器として使用したのだ。

小型とは云え、その重量は1.4sにもなる。

勢いをつけて投げれば、立派な凶器だ。

「あぎィッッ!」

ロナルドは、悲鳴を上げて額を押さえた。

額が割れ、そこから流れ出た血液が、彼の左目の視界を覆っていた。

レインが、床に転がったガヴァメントに飛びつく。

そうさせじとばかりに、ロナルドが彼女に銃口を向けたその時、胸部に焼けるような激痛が走った。

銃撃だった。

見ると、春彦が、手にシグ=ザウエルを構えていた。

その銃口マズルからは、真新しい硝煙が上がっている――――――

俺を忘れるなよ・・・・・・・道化師クラウン? 観客の世話は最後までするもんだぜ?」

言ってから、春彦は、さらに二連撃ちダブル・タップをもう一度繰り返した。

狙いは寸分違わず、ロナルドの胸部に命中する。

片手を負傷しているとは思えぬ速射だ。

ロナルドは、シニカルな笑みを浮かべて、仰け反った。

しかし、それだけだった。

「くぅぅくくく………。 ダァァメだな、黄色猿イエローモンキー。 狙うなら、頭。 頭。 頭狙わないとォ〜。 おかげで俺様、死に損なっちゃったじゃないのさぁぁ〜〜〜〜〜ッッ。」

「抗弾ジャケットか……アルマーニの下にそんなもん着込んでんじゃねぇよ、女衒ホスト野郎。」

「いいいっひっひひィィ〜〜〜ッ、半死人が言うねぇぇ〜〜〜ッ! でーもさー、ほらー、こうやって女を人質に奪っちゃえば………」

ロナルドが、レインに銃口をやろうとしたその時だった。

真横から、ガヴァメントの銃把グリップが、ロナルドの顔を殴りつけた。

春彦に気をやるあまり、レインへの警戒を怠っていたためだ。

レインは、打撃にひるんだロナルドの襟を掴むと、一気に足払いをかけた。

ロナルドの身体が、レインを支点に、弧を描くようにして地に叩き落される。

衝撃で、彼のザウエルが床を滑っていった。

制圧術マーシャル・アーツ……日本の柔道で言うところの『大外刈り』だ。

最も単純シンプルで、それ故、最も速い奇襲技である。

仮にもFBIの現役警官であるレインである。

護身術のマーシャル・アーツは必須科目だ。

ロナルドは、後頭部から床に激突した。

下がアスファルトならば、致命傷となってもおかしくない衝撃だが、生憎と床は絨毯張りだ。

意識を刈り取るにも少し弱い。

とどめに腕を極めようとすると、ロナルドは転げるようにしてそれを逃れた。

大仰なアクションで立ち上がると、その鼻先には、二つの銃口が突きつけられていた。

春彦とレインが、左右二方から拳銃を構えていた。

「うひっ?」

閉幕フィナーレだぜ、道化師クラウン。 それともこの状況から、奇跡の脱出マジックでも拝ませてくれるのか?」

「ははっ、そりゃ無理ですよ、旦那。 俺はただのピエロ。 魔術師マジシャンの真似事はできまっせーん。」

「なら大人しく投降しな。 妙な動きを見せたら、正しい・・・ブラッディ・マリーの作り方を身体で知ることになるぜ。」

「ひゃはっ、そいつも無理ー。 だって、妙な動きは道化師クラウンの商売道具―――――――」

その時、ロナルドの身体が、一気に沈み込んだ。

「だもんよッッ!!」

二人が銃を構え直すが速いか、沈み込んだ反動を使って、ロナルドは後方に跳ね飛んだ。

発砲。

しかし、ロナルドは、まるで冗談のように側転を繰り返してそれをかわす。

正に、道化師クラウンだ。

ロナルドは体勢を立て直すと、オーバーな仕種で、二人に向き直った。

「ひゅうゥゥ――――――ゥうッッ♪ あッッッぶなかったぁぁあ!! 強えーよ、アンタら。 つーかね、やっぱ二対一はきついわ、やっぱ。 と、いう訳で俺は逃げまぁぁ―――――――す。 次はライアット・ショットガンでも持ってくるよー。」

ロナルドは、チラと腕時計を覗くと、おもむろに背を向けて走り出した。

その動作に、一瞬、唖然とするも、すぐに春彦は我に返って銃を持ち直した。

「逃がすかよ、馬鹿野郎!!」

春彦が銃を構える。

レインが銃を構える。

その時、ロナルドが、背面に向けて、何かを放り投げた。

「はっは―――――ッ! コイツはお土産でぇぇ〜〜〜ス。 二人で美味しく食べてねぇぇ――――――ンッッ。」

放物線を宙に描いた後、ころころと廊下を転がる二つの物体。

それは丸く、ちょうどリンゴぐらいの大きさだった。

その形状に、二人の脳裏に、一つの凶器の名が浮かび上がる。

「まさか手榴――――――」

言いかけたその時、その物体が光を発した。

二人の視界が、真っ白になった。

轟音。 閃光。

二人は、死を覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

気分が悪かった。

猛烈な吐き気のこみ上げて来るのがワカった。

徐々に、視界が回復する。

春彦は、胆汁が胃の中でグルグル回っているのを感じていた。

生きていた。

隣を見ると、レイン=フェルモンドが、寝間着のまま、うずくまって震えているのが見えた。

彼女もまた、猛烈な吐き気に苛まれているようだった。

可視量の数倍近い光量の閃光を、一気に浴びたためだ。

爆発したのは、暴徒テロ鎮圧用の閃光音響弾スタン・グレネードだった。

爆音と閃光は凄まじいものの、殺傷力は持たない、非殺傷兵器である。

春彦は、死を免れた事に一抹の安堵を覚えたものの、考えれば当然の事だった。

あの至近距離で手榴弾を使えば、ロナルドも爆発の直撃は避けられない。

光の治まった時、すでにあの道化師の姿は無かった。

最初から、逃走する事も考えに入れていたのに違いない。

クソったれファック!!」

春彦は、敵を取り逃がした事に憤怒を覚え、地団駄を踏んだ。

しかし、すぐに冷静さを取り戻し、レインを引き起こす。

まずは、アイリス達と合流しなければならない。

ここから脱出するのは、その後でいい。

春彦は、早足で歩きだした。

 

 

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