調度品は、いずれもイタリア製の高級品ばかりだった。
実用性よりもむしろ外見の派手さのみを追求したそのスタイルは、ともすれば脂の乗りすぎたサーロインステーキのごとく下卑た装いにすら見えかねないが、それをそうさせないのは、その部屋の主の持つ生まれついての気品故だろう。
マーク=エベンゼール。
それが、この部屋の主の名だった。
まだ二十代半ばの若年ながら、5つものカジノを経営する現代の貴族。
しかし、その裏の顔は、マンハッタンの麻薬王、ガーネスト=ヴァレンティーノの片腕を担う、ヴァレンティーノ・ファミリーの大幹部である。
シカゴの資産家の家に生まれつき、高等教育を受けた彼は、ヴァレンティーノ・ファミリーでその手腕を振るい、“マージ・ノーラ”の市場開拓に多大な貢献をした。
実際、彼の存在無しに、ヴァレンティーノ・ファミリーがニューヨークの麻薬市場を手中に収める事は在り得なかったであろう。
だからこそ、彼は今夜の商談を、偉大なる親分、ガーネスト=ヴァレンティーノより一任されている。
ヴァレンティーノ・ファミリーのアメリカ麻薬市場での趨勢をいち早く察知した、ブルックリンの麻薬シンジケートが、盟約を交わしたいと言ってきたのだ。
今夜はその交渉をしようというのである。
テーブルを挟んで腰掛けたその男は、とても気に食わない男だった。
禿頭の矮躯。
極度の肥満体であり、いかにもなトレンチコートを肩にかけて、礼儀知らずにも、美味そうに葉巻を吹かしている。
そして、その後ろには、メン・イン・ブラックの文字通りに、黒のスーツにサングラスをかけた巨漢を、ボディガードとして立たせていた。
端的に言えば、俗世間におけるイタリア・ギャングのイメージを、5世代ほど退化させたような風貌なのである。
仮にもイタリア系ギャングであるヴァレンティーノ・ファミリーの一員であるエベンゼールには、その風体が、自分達を小馬鹿にしているようでひどく癇に障った。
もしこの商談が偉大な親分の勅命でなければ、この場で蜂の巣にしてやっているところだ。
だが、生憎彼は、自身の感情制御には自信があった。
もしそれが命令ならば、糞まみれのブタとだって寝る事ができる。
そして、その自制力は、この世界でのし上がるためには絶対に必要なものだった。
「ようこそいらっしゃいました、我が友よ。」
吐き気がするのをこらえて、エベンゼールは言った。
「サンク・ユー、同志よ。 今夜はとてもいい夜になるはずだ。 りんご畑の開拓史に、新たな歴史が付け加えられる事になるのだから。」
シンジケートの使いは、臆面もなくそう答える。
ああ、思った通りだ。
話し方もとても気に食わない。
あの額に浮いた脂のように粘っこい話し方だ。
コイツはきっと前世が家畜のブタだったんだ。
それも、脂っこいヨークシャー種だったに違いない。
エベンゼールは、侮蔑の目をゆっくりと笑みの形に細めると、破顔して言った。
「その通りです、我が友よ。 そして、効率よくりんごを収穫するには、我々の手が必要不可欠です。 さて、それでは今夜の商談の成功を祈って。」
エベンゼールと、麻薬シンジケートの使い。
偽りの笑顔を浮かべた両者は、キール=ロワイアルの入ったグラスを掲げて乾杯する。
ちょうどその横で、ローマ数字の壁時計が、午後10時55分を指していた。
Gun Crazy
CASE 01 Highway StarA
『任務開始。』
トランシーバーの向こうから、静謐な声がそう告げた。
春彦と黒龍は、拳銃を抜くと、すぐさまスライドを引いて撃鉄を起こす。
次の瞬間、別働部隊の仕掛けた工作で、廊下のブレーカーがふっと落ちた。
静寂。
セキュリティシステムも一時的にダウンした状態である。
予備電源に切り替わるまでの時間はおおよそ3分。
それまでには任務は完遂しているはずだ。
冷徹に。冷静に。静謐に。理知的に。
そうとも、これはチェスゲームだ。
敵の手をかいくぐり、敵の目を欺いて、敵のキングに王手をかける。
絶対不敗のクォーターライン。
それが自分達だ。
それが特殊部隊《ディナ=シー》だ。
闇の中こそが自分たちの狩猟場。
あとはあの扉を蹴破って、中の羊達を捕らえるだけだ。
春彦は、愛用の自動拳銃―――シグ=ザウエルP226を掲げると、一直線に廊下を走り抜ける。
黒龍もその後に続いた。
さぁ、カーニバルだ。
いざ突入、扉を蹴破って『動くな』と唱える、お化け屋敷で何度も繰り返した儀礼的な行動。
その軌跡をなぞれば、それでいい。
しかし――――――
次の瞬間、春彦達の死角から人影がひとつ飛び込んで来た。
先に見渡した時には、この区画に人はいなかったはずだ。
それだけに、それは不測の事態だった。
―――――いや、待ち伏せではない。
向こうは、春彦達の存在に、これっぽっちも気づいては居なかった。
それは、小柄な女だった。
窓から差し込む微量の灯りを頼りに見たシルエットでは、スーツ姿らしい。
そして、あろう事かその女は、今から春彦達が行おうとしていた行動を、春彦達の目の前で寸分違わずトレースした。
早い話が、その女は、扉を蹴破って拳銃を構えると、「手をあげなさい!」と叫んだのだった。
春彦達は、言葉を失った。
グラスの中で、キール=ロワイヤル―――シャンパンとカシスのカクテル―――が波を打った。
突然、部屋の照明が落ちたかと思えば、次の瞬間、何者かがVIPルームの扉を蹴破って、「手をあげなさい!」だのと唱えてきた。
長髪に矮躯の、タイトスカート姿の女だった。
ひどく童顔で、下手をすればハイスクール・ガールのようにさえ見える。
その女が、撃鉄の起きたガヴァメントP1445を構えて立っていた。
「手をあげなさい! 連邦捜査局よ!」
女は、視線と共に、銃口を部屋の中に這わせる。
部屋の中にいたのは、マーク=エベンゼールとその配下、そしてブルックリンの麻薬シンジケートの使者だった。
薄明かりの中、エベンゼールは立ち上がると、苦笑して肩をすくめて見せる。
「おや、どうしました、可愛らしいお嬢さん? もし迷子でしたら、私の部下にフロントまで送らせますが?」
室内の配下達が声をあげて笑った。
完全に女を小馬鹿にした台詞だった。
「手をあげろって言ってんのよ、クソ野郎!!」
ドンッ!!
銃声が一つ。
銃弾は、VIPルームの防弾ガラスに当たると、あらぬ方向に跳弾した。
視界が暗いのだから、そもそも狙いが定まっていなかった。
しかし、その銃声は、この場にいた男達を刺激するのには充分だった。
「ミスタ=エベンゼール、こいつはどういう事だ? 今夜の会合は極秘のはずじゃあなかったのか? ここはアンタの管轄だぜ。」
シンジケートの使いは、責めるようにエベンゼールを見た。
「コイツは何かの間違いだ、同志。 何、簡単な話だ。 要するにはこの女を捕らえて、薬漬けにして、洗いざらい吐かせればいいだけの事さ。 きっと、シカゴ・ピッツァが焼き上がるのを待つよりも早い。」
「オーケイ。 聞いたか、お前ら。 どうにかしてこのアマを捕らえろ。 口と呼吸器だけ残ってりゃ後はどうなってもかまわねぇ。 喰っちまえ。」
巨漢達は、その言葉を聞くなり、懐に手を伸ばした。
何をしようとしているのかは、聞くのも愚かしい事だ。
女はとっさに彼らを撃とうとしたが、数が多すぎた。
おそらく、彼女がマズル・フラッシュを三つ点滅させる間に、彼女の手足は蜂の巣になっているだろう。
絶体絶命の窮地だった。
「クソったれ!!」
彼女の後ろで舌打ちする声が一つした後、二人のスーツ姿の東洋人が、彼女を押しのけて飛び込んで来た。
二人とも、その手には拳銃を手にしている。
その向こうで、巨漢達が、ソファーの下からサブマシンガンを取り出しているのが見えた。
「何も考えずに飛び出して来るんじゃねぇよ、馬鹿野郎!! 死にてぇのか!!」
ガガガガガガガガガガガッッッ!!!!
二人の東洋人の手にした拳銃が、雷鳴のごとく轟く。
ソファーの中の羽毛が、雪のように舞い散った。
しかし、その時にはエベンゼール達は床に伏せていた。
「うぉらぁああああああああああ!!!!」
東洋人の一人―――黒龍は腰から、小型のサブマシンガン―――イングラム=マック10を取り出すと、巨漢達の頭に9mm口径のビーンボールをお見舞いする。
赤黒い血漿が、べったりと窓に張り付いた。
シュール・レアリズムの展覧会だ。
エベンゼールとシンジケートの使いは、マホガニーの机の裏側に身を隠して、銃弾の嵐をやり過ごしていた。
「く……っ! あの時の日本人……!? なんて事しやがる、この劣等人種が!!」
激昂したエベンゼールは、紳士の仮面を外すと口汚く春彦達を罵る。
彼は、懐から愛用するセンティメーター=マスターを取り出すと、机越しに発砲した。
無論、当たるわけもなく、逆にマホガニーの机にイングラムの集中砲火が浴びせられる派目になった。
「クソッ! なんてこった、今日は厄日だ! ああ、最悪のブラック・サタディだ!! イタ公め。 契約は破談だ! 手前ら全員ブルックリン橋から放り投げてやる!!」
シンジケートの使いがエベンゼールに怒鳴りつける。
エベンゼールの自制もそこが限界だった。
「うるせぇぞ、ブタ野郎!!」
彼の愛銃が、シンジケートの使いの眉間に照準を当てる。
「待――――――」
ドンッッ!!!
銃声。
次の瞬間には、シンジケートの使いは脳漿を巻き散らかして絶命していた。
「クソったれ、何もかも上手くいきやしねぇ! チクショウめ! くたばりやがれ!!」
彼は、もう一度机越しに発砲しようと、机の影から銃を出したが、もう一人の東洋人――――春彦のザウエルの放ったパラベラム弾がその銃身を跳ね飛ばす。
不運にも、銃把にかけられていた、エベンゼールの、ピアニストのように細く繊細な中指が、根元から抉り取られていた。
「ッッ!!―――――――――――ッッッ!!!!!!!!」
エベンゼールは、あまりの激痛に、悲鳴をあげる事すらできず悶え回る。
相手の戦力を完全に沈黙させた春彦達は、ドアを蹴破って内部に突入した。
春彦は、エベンゼールの襟首を掴むと、引きずり起こして鳩尾を一発殴りつけた。
悶絶していたエベンゼールは、その一撃で静かになった。
気を失ったのだ。
「はい、身柄確保……っと。」
春彦は、何の感慨もなくそう言うと、エベンゼールの中指を止血して肩に担ぎ上げる。
「オーケイ。 こちら、エージェント=Vとエージェント=Z。 予定外の事態はあったが、制圧完了だ。 これより撤収する。」
春彦は、トランシーバーに向かってそう報告した。
『こちら、エージェント=C! 何やってんのよ! 予定より20秒もオーバーしてるわよ!? 間もなくセキュリティ・システムが復旧するわ! 死ぬ気で走りなさい!!』
トランシーバーの向こうで、アイリスが怒声をあげた。
その怒声の後ろで、車のアイドリングの音がする。
どうやら、逃走手段は無事確保したらしい。
「ンな事言ってもよォ………。」
黒龍が、傍らで、あまりの銃撃戦を目の当たりにして呆けているFBIの女捜査官を見やった。
自分の目の前で起こった出来事に、パニックを起こしているらしい。
さて、彼女をどうするか……。
『“ても”じゅない! 時間がないのよ!! あと2分もしたら貴方達を助ける事ができなくなるわ! システムの支配の及ばないカジノ・ホールまで、急いで走りなさい!! 大急ぎよ!』
「ヤ…了解!!」
二人は即答する。
もはや、選択肢はなかった。
彼女をここに放置しておけば、エベンゼールの部下達に間違いなく殺される。
春彦は、彼女の手を掴んで立たせると、静かに告げた。
「………走るんだ。 死にたくなかったらな。」
「え…? ちょ……待っ――――」
彼女が返答する間もなく、春彦は彼女の手を引いて……というよりもむしろ、引きずって走った。
「痛い痛い! 痛いってば!!」
「黙って走れ! 泣き言は冥府の川で言っても遅いんだぞ!!」
大声で喚きながら、さっき来た廊下を全力で疾走する3人とお荷物1人。
しかし、その目前に、サブマシンガンやショットガンを掲げたギャング達が一斉に立ちふさがる。
どうやら、先の銃撃戦の音が筒抜けだったらしい。
「――――――そりゃ、あんだけ派手に騒げばな……。」
黒龍は、苦笑すると、腰に差した二挺のイングラム・サブマシンガンを取り出した。
春彦は、エベンゼールを担いでいるため、戦力としては期待出来ない。
黒龍が自分でやるしかないのだ。
「クソったれ。 本当にクソったれだ。 きっと今日は、最高に不運なスペシャル・ディだぜ。 魔女の誕生日だ。」
バララララララララララ……………
黒龍が泣き言を口にしたその次の瞬間、カジノ・ホールの方から銃声があがった。
―――――何だ!?
ギャング達の注意が、一瞬そちらに引きつけられる。
黒龍は、その一瞬を見逃さなかった。
「イェア!! 誕生日おめでとう、愛する魔女様!!!」
彼の放ったナインボールは、問答無用に標的を蹴散らした。
この場合、ヤツらはナインボールのピン台だ。
銃声。 銃声。 銃声。 銃声。
手当たり次第のフルオート無差別乱射。
問題外の命中精度の低さで揶揄されるイングラム・サブマシンガンだが、この狭い通路で使えば標的を外しようが無い。
そうとも、イングラム=マック10。
コイツはこうなれば9mm口径の弾丸を毎分1000発、左右合計・毎分2000発を吐き出してくれる、最高にクレイジーな怪物だ。
ハリー=ポッターの魔法でだって止められやしねェ。 ほら、ナイン・ポケットだ!
横殴りに受けたイングラムのフルオート掃射で、ギャング達は手にしたエモノごと弾丸の嵐に身をさらす事となった。
雨を避けきる事の出来る人間はこの世にはいない。
足に、膝に、腿に、股に、腹部に、胸に、肩に、腕に、掌に、そして頭に被弾し、真っ赤なシャワーで濡れネズミとなる。
ぐぅの音もつかせぬ間に、被弾者達がリノリウムの床に折り重なった。
人間で出来たカーペットだ。
「まったく……。 遅いんだよ。 これじゃ陽動作戦の意味がないだろう。」
春彦は、カジノ・ホールの方を向いて毒づく。
本来のシナリオでは、VIPルームを制圧した直後に、エージェント=Fとエージェント=Sがカジノで発砲し、そこにヴァレンティーノ・ファミリー側の人員を集中させて逃走する作戦だったのである。
その時、床に伏せった一人が懐から拳銃を引き抜き、黒龍に狙いを定めた。
「!! 馬鹿ッ!!」
いち早くそれに気が付いた春彦は、弾かれたようにザウエルを構えると、瞬きする間もなく男の額を撃つ。
撃たれた男は、そのまま脳漿を散らして絶命した。
神技じみた、刹那の射撃だ。
「ちィッ!!」
黒龍は舌打ちすると、イングラムで横殴りに威嚇掃射をする。
バラララララララララララ!!!!!!
「死にたくねェヤツは黙って伏せてろ! こっちは1秒だって惜しいんだ!!」
黒龍が問答無用で咆えると、まだ息のあった者が、ひっ、と悲鳴をあげて頭を低くする。
その彼らのすぐ手前に、黒龍は嬲るように弾を数発撃ち込んだ。
「遊んでる場合か! 復旧まであと90秒しか無い!」
春彦が後ろからたしなめる。
「状況次第って言ったのは手前だろ! 何とかしろ、チクショウ!」
「不測の事態にも程度があるだろ! あんな状況、ジョン=ウーだって想定しやしない!!」
「ちょっと! 何がどうなってるなか一から説明しなさいよ! 場合によっては、貴方達を緊急逮捕――――――」
「説明は後だ! とにかく走れ!! 悪いが二人もかつぐ余裕は無い!」
皆まで言わせず、春彦は再び強引に女の手を引いて走った。
彼女が後ろで何事か喚いているが、お構い無しだ。
何しろ、今の自分達には、そんじょそこらの消防士よりも尻に火が着いている。
時間になったら、こんがり焼けたウェルダン・ステーキ3人前――――――――全く笑えやしない。
こんな立て込んだ場所で、これ以上増援に来られたら、さすがの春彦達も分が悪い。
第一、残弾数がもう残り少ない。
火力に任せた質量攻撃に出られたら、もう終わりだ。
走る。 走る。 走る。
もう3区画。
そこを抜ければ、カジノ・ホールだ。
自由の女神は俺達を見捨てちゃいなかった!
しかし、現実はそこまで甘くはなかった。
ラスト2区画。
その角を曲がった向こうには、怒りのあまり、顔をトマトのように真っ赤に染めた紳士達が、グラスの代わりにウズィ・サブマシンガンを手に持って、通行止めをしていた。
「お客様方。 通行証はお持ちですかな?」
片目の無い、凶悪な面の紳士殿が、底冷えのする声で尋ねた。
「………マジかよ……!」
思わずと言った感じで、黒龍が呟く。
紳士は、春彦の肩に担がれたエベンゼールの姿を認めると、残った片目を細め、さらにその右手の中指が欠損しているのを認めると、ついには目を瞑った。
その拳が、痙攣しているのかと錯覚するほど激しくわなないている。
若干の沈黙の後、その隻眼が唐突に見開かれた。
「野郎共! 乾杯の準備だ!! このガキ共を生かして帰すんじゃねェ!! 殺して、死体犯して、バラバラに解体してから、カラスの餌にしてやれ!! ヴァレンティーノ・ファミリーをコケにした事を、あの世の果てまで後悔させてやれ!! 音頭は俺が取ってやる!! ぶっ殺せ!!!」
『イェッサ――――――ッッッ!!!!!』
合計11個のウズィ・サブマシンガンの銃口が春彦達に向けられる。
「最悪だぜ………。」
自由の女神がクソ淫売だったという事に、黒龍はようやく気がついた。
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